九州絶佳選
福岡
観世音寺の鐘−太宰府市−
荒れ果てし西の宮に来て見れば観世音寺の入相の鐘  <仙崖和尚>
観世音寺の鐘  大宰府に観世音寺という寺がある。鎮西第一の巨刹だった。この寺に無銘の古鐘がある。大宰府に流された菅原道真が「観世音寺唯聴鐘声」と詠じた鐘である。時を経て、隆盛を極めた寺も豊臣秀吉らに寺領を奪われて衰退し、いまはただ大極殿の礎石を舐める入相の鐘にさすがの仙崖和尚も寂寥感を禁じえなかったことであろう。
 観世音寺の鐘と同形で同じ鋳型でつくられたのものが京都の妙心寺にある。こちらは鐘身内部に「戊戌年四月一三日壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」としるされた陽刻の銘がある。鐘は九州の粕屋評(郡)にあった工房で鋳造されたものだ。吉田兼好が徒然草(第220段)において、妙心寺の鐘の音は黄鐘調(おうじきちょう。雅楽音)と評し、梵鐘の手本として激賞している。音域が広く、錫の混合割合が観世音寺のそれより高いのであろう。
 ところで、観世音寺の鐘は妙心寺の梵鐘銘から文武天皇2年(698)前後に鋳造されたものと推認できるが、同じ工房で果たしてどちらの鐘が先に鋳られたものか大いに興味をそそる。両方の鐘を比較すると、妙心寺鐘に梵鐘銘があり観世音寺のそれは無銘である。加えて、鐘身の上帯、下帯の唐草文と竜頭の大きさが異なっている。木型の製作時期の違いから生じたものであるが、観世音寺鐘の唐草文のほうが力強く、竜頭もひとまわり大きい。妙心寺鐘の音域が広く感じられるのは、銅と錫との混合割合の進化かと思われる。日本最古の当麻寺の鐘が無銘であることは、一般的に無銘のものが有銘のそれより古いことを示唆している。時代を経ると文様の力強さが減退する一般的な傾向から推すると、観世音寺鐘の木型のほうが古いともいえるだろう。わたしにはどうも観世音寺鐘が妙心寺のそれより古いもののように思われてならない。観世音寺の開山の満誓が、旅人・憶良が、或いは道真が聴き、長塚節がその尊き冷たさを感じた鐘がここにある。−平成17年5月− 
手を当てて鐘はたふとき冷たさに爪叩き聴く其のかそけさを  < 長塚 節>