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福岡 |
弥生遺跡(二丈町)−二丈町石崎等− |
現在の行政区画で、唐津市と前原市に挟まれた玄界灘沿岸に二丈町がある。町の北東部が低地になっていて、伸びやかな平野を成している。加布里漁港をまたいで志摩半島の加也山(標高365b)がのぞいている。
二丈町は縄文、弥生の遺跡の発見が相次いだところである。町内に広田遺跡、石崎・曲り田遺跡、石崎・矢風遺跡などが分布する。石崎に歴史の里曲り田スポーツ公園があり、二丈町の遺跡の紹介とともに、復元された竪穴式住居や支石墓が展示されている。
石崎・曲り田遺跡は、出土遺物から唐津の菜畑遺跡や福岡の板付遺跡にみられる稲作開始期の遺跡とされている。公園にしるされた説明(陶石板)によると、遺跡から縄文文化的要素を持つ打製石器に加えて、炭化米等が出土し、それら遺物の組み合わせが縄文文化に見られないところから、遺跡から出土した土器を板付T式を遡る最古の弥生式土器と見て、縄文時代晩期後半といわれていた稲作開始時期を弥生時代早期とすることが提唱された、と概略そのような趣旨の記述がある。
公園に復元された矢風遺跡等の支石墓(写真上)など眺めていると、弥生時代における北部九州の墓制は土壙墓、木棺墓、箱式石棺墓、甕棺墓など本当に多様である。北部九州の豊かな稲作文化がそれらの墓制を進化させ、支えていたのであろう。歴史の里曲り田スポーツ公園は、二丈町散策の入口としてもよい施設である。−平成18年1月− |
加也山を望む |
曲り田スポーツ公園 |
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