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福岡 |
豊前鏡山−田川郡香春町− |
豊国の鏡山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず <万葉集巻3 418 手持女王> |
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河内王の死をいたむ手持女王の挽歌が三首、万葉集にしるされている。三首とも鏡山に造られた墳墓を前にして手持女王がその死を悼む歌。手持女王は河内王の后であったのだろうか。標記の歌(二首目)にその気持ちがよくこめられているように思う。鏡山は香春岳の東麓の山(写真の山)。その西隅に墳墓がある。宮内庁の管理墓である。 河内王は、大宰帥を務め西暦694年(持統8年)没。手持女王は、当地が墳墓の地となった理由について、<王の親魄逢へか豊国の鏡山を宮とさだむる 万葉集>と遠慮がちに詠う。王の気持ちに叶ったという香春の鏡山。当地は古くから渡来人が住み、銅の製錬、鏡の鋳造などが行なわれ、先進文化が花開いたところ。手持女王一族は、たぶん当地の豪族であったのだろう。鏡山は、都を離れ筑紫に没した王が安住地とするのに相応しいところだった。−平成17年11月− |
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