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福岡 |
宮原坑の風景-大牟田市- |
善き人も 悪き人もなし 坑口の夏 <芳月> |
三井三池炭鉱の宮原(みやのはら)坑が閉坑になって74年になる。坑跡に高さ22bにもなる鋼鉄製櫓とレンガ造りの捲揚機室が残っている。盛夏のころ、日本の石炭産業を支えたそれらの遺跡は夏草に覆われ、じりじりと太陽が照りつけている。 昭和30年代からの石炭から石油へとエネルギーの転換が進み、三池炭鉱は閉山になった。宮浦坑、万田坑などの閉坑跡にレンガの煙突や坑口、捲揚機室などが残っている。それらの炭鉱のなかでも宮原坑は特異な炭鉱として存在していた。
明治31年に開坑した宮原坑は、昭和6年に閉坑になるまで33年間、産炭活動を続け年間40〜50万トンの石炭を産出した。労働者は囚人だった。坑跡の西、500メートルほどのところに三池集治監(みいけしゅうじかん)があって、そこに収容されていた囚人が採炭に従事したのである。彼らはそこで相当過酷な労働を強いられ、宮原坑は修羅坑と恐れられていたという。三池工業高校の外周に設けられた高さ5メートルのレンガ塀や石垣の一部に集治監の跡をとどめている。集治監は昭和6年、宮原坑の閉坑とともに閉庁になった。
宮原坑の坑口に立つと、繁茂した夏草が時の流れを包みこみモンシロチョウがひらひらと飛んでいる。−平成17年7月− |
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