九州絶佳選
福岡
姫島−志摩町−
 糸島半島の西方に姫島という周囲3キロほどの島がある。志摩町の岐志から客船に乗り16分。漁業が盛んな人口210人ほどの島である。島の最高峰鏡山(標高186b)が島の中央を占め、四周は断崖を成す。島の南部に姫島港が開け、港をまわりに集落が開けている。鏡山の急斜面に発達した住区は石垣と坂の町。初秋の風が路地に吹き、どこからか風に乗って童たちの歓声が聞こえる。風を頼りに浜に向かうと、シーガルショップ(写真左)。そこはいわば「島の駅」。売店と休憩室が同居する憩いの場。つり人、観光客に混じって童たちの歓声が湧くところ。
 島の鎮守・姫島神社は、女神の二柱を祭る社。島名もこの社に由来するのだろう。神社を少し下った辻に庚申塔(庚申道祖神)が立っている。安永4年(1775年)の記銘がある。シーガルショップの近くには、恵比寿大黒(写真左)が祭られ、大黒の像刻がある。回りにサンゴが供えてあるもの漁村らしくて尊いものである。木造平屋切妻造りの保育園(写真左)も古色のあるよい建物である。
 浜の「網小屋」(写真左)では、出漁の準備に励む漁家の姿がある。夫婦或いは家族ぐるみで、幹となる縄に枝素を結わえる者、餌を付ける者など延縄の調整に余念がない。アラカブ漁に出るのだという。漁村の伸びやかないい風景がある。
 島回りの海岸は実に美しい。漆黒の石は玄武岩、白く見える石は凝灰岩、うっすらと赤みを帯びた安山岩が大小さまざまな形して、混ざり合い海岸線を埋めている。花崗岩の隙間から噴出したマグマが冷え固まり、その摂理が幾百万年の間に徐々に崩壊し、波に揉まれこのような石の奇勝を産んだのであろう。島の北海岸に龍瀬、坊主の首などの奇勝があるというが、私は見たことがない。
 姫島はまた、藩政期には流刑の島だった。島の西に、歌人であり、勤皇家であった野村望東尼が繋がれた獄舎がある。今は御堂に生まれ変わり、胸像、歌碑、記念碑が建ち、遺品の展示がしてある。獄舎の前は海に近い。高杉晋作などを平尾山荘(福岡市)に匿い、流刑となった望東尼は、晋作の計らいによって島を脱出し山口に落ち延びたが、再び筑前の地を踏むことはなかった。生涯、歌を忘れず、勤皇の趣を実践した人だった。−平成17年9月−

獄舎(御堂)

望東尼