今治城−今治市−
  今治城の白壁が冬の陽を浴びさえざえとした光りを放って美しい。
 城の北面の海は来島海峡。海水を湛えた海浜の要塞は藤堂高虎が築いた城。瀬戸内に伊予の覇王の名をほしいままにしたことだろう。
 今治城は、藤堂高虎が国府城主となった慶長7(1602)年に築城に着手した平城。高虎はもともと板島城(宇和島城)を拠点にして豊臣秀吉に仕え、朝鮮遠征の戦功などによってしばしば加増され、伊予の有力大名に名を連ねるようになる。
 高虎は秀吉の没後、徳川方につき関が原の戦功によって12万石の加増を得、所領20万石の大名に出世。戦乱の世に生きる卓越した知恵があった。外様であったからいち早く嫡子高次らを江戸住まいさせるなどそつのないところをみせ、それが後年の参勤交代の手本となったといわれる。こうして高虎は、伊予半国の大大名となったのである。
 終に、高虎は江戸城の縄張(基本設計)をおこなった功により加増され、慶長13(1608)年に伊勢安濃津藩を拝領。今治2万石を残し伊勢に去った。-平成17年1月-