田中恒利さんの顕彰碑−西予市明浜町俵津−
宇和から県道45号宇和明浜線を行き、野福峠(トンネル)を抜けると宇和海がひらけている。眼下のみかん畑の彼方に、一対の網船がみえる。シラスの曳き船であるらしい。
俵津(クリック拡大)
顕彰碑から宇和海に臨む
眼下の町は俵津。漁業とみかんの町だ。家並みの背後に石垣を積み上げた段々畑が迫る。
くねくねとした県道を下ると、7合目あたりに休憩スペースが設けてある。傍らに田中恒利さんの顕彰碑(写真上)がある。
田中さんは俵津出身。永く衆議院議員として活動し、晩年は内閣委員会委員長を務めた人。平成8年に政界を引退し、4年前に逝去。農業振興に尽くし、晩年は海の日の制定に奔走された。
ところでこの彰碑碑、政治家のそれとしては少し変わっている。石碑に生年や国政選挙の当落の回数などは年表としてしたためてあるが業績が記されていない。どうも生前の田中さんの心情を察したようにも思われる。
20数年ほど前、ご縁があって東京で田中さんにお会いしたことがある。用向きは忘れてしまったが、斜度30度を越えるようなみかん畑で働く農家の苦労話を二人でした記憶がある。南予の厳しい労働環境は収穫物や肥料の運搬にモノレール(写真右)を必要とした。しかしその普及は遅々としていて、農民の健康問題はもとより経営規模の拡大が進まず労働生産性を大いに阻害していた。そんなおり田中さんはモノレールの補助事業化などを通じその普及に尽力されたのである。しかし、ご本人は、「農家のやる気と農林省の功績ですらい。」とおっしゃるばかりだった。
22年前、国民の祝日法の改正によって「海の日」が制定された。この法制化に田中さんは大いに尽力された。改正法案は平成6年から衆議院内閣委員会によって起草され、自由民主党、改革及び日本社会党・護憲民主連合の三派共同で提案された。法案は文教委員会で審議、成立し、平成8年に施行された。当時、衆議院内閣委員長だった田中さんは提案者とともに文教委員会に出席するなどその制定の功労者だった。海の日の制定につき先の大戦の記憶から国民の間に反対意見もあったので、田中さんの3年越しの苦労は計り知れないものがあったに違いない。改正祝日法の施行を見届けるようにして田中さんは政界を去られた。おごらず、へこたれず、田中さんは典型的な南予人ではなかったか。機会があれば俵津で田中さんの功績を偲ぶのもまたいいだろう。―平成30年10月−