讃岐うどん
  「讃岐うどん」がブームになって久しい。休日にはガイドブックを片手にうどん店を行脚する若者をあちらこちらで見かける。昼時に長い行列ができる店もある。「朝から、ぶっかけ、たらい、かけ、キツネを食べました。まだ残っています。」と言いながら、せわしげに腹をさすり店先に並ぶる御仁は旅人であろう。「帰ってうどん食べよっと、ほなの」と言って、電車で友と別れる女学生は大のうどん好きであろう。
  香川県内に一体どのくらいうどん屋があるのだろうか。一般の食堂は無論、喫茶店などでもうどんを出すところもある。ざっと三千店はあるという人もいる。

  香川県のうどん消費量は断トツの全国一。毎日食べる人も多い。讃岐とうどん。その所以は一体何なのか。小麦の栽培適地説、金刀比羅宮の門前町からの発祥説など諸説ある。四国遍路との関係も否定できない。消化がよく手軽な食事は、遍路の旅人には好都合。大いに需要があったことに加え、讃岐には大河がなく水田耕作にリスクが伴う土地柄。いきおい麦の栽培が盛んになり、麦の質もよいこともあって古くから麦が栽培され、お遍路さんなどにうどんが提供されていたのであろう。
  うどん屋高松市内の琴電・今橋駅近くのうどんの「セルフの店」に入る。うどん玉の入った鉢が置いてある。料金の清算以外はセルフである。湯槽にうどん玉を通し、麦茶よろしくだし汁を加え、ネギ、天ぷらなど好みに応じてトッピングして客は席に着く。初心者は先人の作法を真似るしかないが、何とも気ままで面白いものである。ふだん料理とは無縁の若者層に食事を作る楽しさが大いに受けているのだろう。玉入れ、湯通し、だし汁を入れるところまで店の領分としているところもある。
  琴電・瓦町の駅裏にある半セルフの店に入る。「暑いでしょう?」とご婦人から声をかけられ、振り返り「暑いですね」と返事をしたところ、きょとんとした顔つきで笑いを堪えている様子である。ご婦人はたぶん、「アツイノショウ」(かけうどんの小の意?)と店員に注文したのであろう。にわか市民とうどん文化の接点でコミカルなときが過ぎてゆく。セルフの店もさまざまだが、うどん玉を売り切ったところで閉店となる店は、もともと玉売りの製麺所。うどん遍路も面白いだろう。
  戦後しばらく、昼、夜となく、ハンドルのついた金属製の小さな製麺機でうどんを絞り出す風景が日本の農村にはあった。経済の高度成長期を経て、小麦を栽培する農家もめっきり少なくなり、自家製のうどんを打つ家庭もなくなってしまった。