飯神社-丸亀市-
飯神社拝殿 飯野山の南西山麓に「飯(いい)神社」(丸亀市)がある。古代における伊予国の神名は愛比売(エヒメ)。神名がそのまま県名となった県である。讃岐の神名は飯依比古だった。コメで代表される国だった。
 飯神社は、飯野山を神体として、飯依比古を祀る神社である。飯野山の周辺地域は、古代讃岐の枢要部であったのだろう。稲作の先進地、讃岐の遠い過去が見えるようである。
 国司・菅原道真の飯神社への尊敬は厚く、しばしば参詣の事跡が伝えら、任解けて帰京の際には自ら刻んだ木像を奉納し、境内小社・飯天神社に祀られている。
 鬱蒼とした社叢に覆われた飯神社の境内に氏子が一人、境内の掃除に余念がない。新緑につつまれた拝殿のかなたに飯野山の山頂がのぞいている。
 飯野山にちなみ、昭和天皇や西行法師、虚子などによって歌が詠まれている。
   暁に駒をとどめて見渡せば讃岐の富士は雲ぞかかれる
                            <昭和天皇>
   讃岐にはこれをば富士といいの山朝げ煙たゝぬ日はなし
                            <西行法師>
   稲むしろあり飯の山あり昔今 <高浜虚子>
   一山に神鎮ま里て不如帰 <津村フジノ 飯神社奉額より>

讃岐ビュートの山々 菅公の観望(神柄の山々)
燈籠の社(白鳥神社)−東かがわ市白鳥町−
  播磨灘の海岸沿いに所在する白鳥町は、白鳥神社の門前町として栄えたところ。江戸期には讃岐三白(塩、砂糖、綿花)の積出港として繁栄し、芝居小屋が立ち庶民の遊楽が許された東讃岐の唯一の町だった。
  白鳥神社は、海岸沿いの松林にある。鳥居をくぐると参道の左右に大きな石灯籠が奉献されている。髄神門の前では、立派な顔立ちの狛犬が一対ある。髄神門をくぐると拝殿前に巨大な石灯籠が林立している。これほど大きな多くの灯籠が奉献された社は希有である。
  白鳥神社は、寛文4年(1664年)、京都の公卿猪熊兼古を宮司に迎え、高松藩主松平頼重によって再興された社である。そのような事情が石灯籠の諸相をも豊かにしているのであろう。
  神社の東側に猪熊兼古の神宮住居がある。髄神門の横から眺めると、楠の巨木の先に本瓦葺きの長屋門がみえ、長屋門越しに主屋の大屋根がわずかにのぞいている。長屋門は本瓦葺き、主屋は木造平屋建て寄棟造り。 猪熊家は兼古と頼重の弟水戸光圀との縁から光圀の書状や大名駕籠、狩野派杉戸絵など多くの秘蔵品がある。一般公開されている。