弥谷寺(71番)−三豊郡三野町-
  三野盆地は、瀬戸内海・三野津湾に注ぐ高瀬川の流域に開けた盆地。稲田が僅かに色づき、畦道に置かれた雀脅しの機械からドーン、ドーンと破裂音が聞こえる。音の熱源は、機械の脇に置かれたガスボンベ。一昔前にはカーバイトが使われたものだった。
  弥谷寺(いやだにじ)は、三野盆地の北東に位置する弥谷山(標高382b)の中腹に建つ寺である。四国88箇所第71番札所。本尊は千手観音。大師堂や本堂(写真左)などの堂宇は、地形に余り手を加えず、背後の岩盤を刳り貫いて埋め込まれるようにようにして建てられている。多宝塔は転がり落ちそうな崖地の上に建っている。傾斜の急な境内の石段は三百数十段もあるが、眼下に三野盆地が俯瞰できる。眺望絶佳の寺である。
  弥谷山は死霊の行く山。寺の本堂に通ずる参道脇や本堂裏の岸壁に無数の小さな納骨穴が刻まれ、岸壁に弥陀三尊仏のレリーフが彫られている。人々は、家に死人が出ると、死人を背負い水場におろす格好をして振り向かずに山を下る風がいまなお残っているという。納骨穴に遺骨をおさめた古い時代の民俗が下敷きになっているのだろうか。
  急な石段を上ると、岩盤に埋め込まれた大師堂がある。大師堂の奥に回ると獅子の岩屋になっていて、岸壁に阿弥陀如来などの諸仏が刻まれている。弘法大師修行の場と伝えられる。−平成16年8月7日−
根来寺-高松市中山町-
  高松市の西方、青峰の中腹に「根香寺」(ねごろじ)がある。本尊は千手観世音菩薩。鬱蒼とした木立に囲まれた寺は、一段と高い石垣の上に本堂などが築かれた典型的な山岳寺院である。盛時には99の僧坊が建ち並ぶ寺であったという。この寺もまた土佐の長宗我部軍などによるたび重なる兵火に遭い、堂宇はほとんど失われている。
  山深い寺ゆえか、根香寺には牛鬼伝説などが伝わっている。境内のケヤキの大樹(写真上)は、その元に白猴を連れた老僧が現れ、「われは山王権現なり」と称し消えた現場とされているところ。近年、枯死した切り株がそのまま大切に保存されている。
  よく晴れた春の日、境内に木洩れびが移ろい、巡礼者が一人また一人、急な石段に浮かびまた消えてゆく。「ゴーン、ゴーン」と二つ三つ、音色のいい梵鐘の音が深山に響く。 
 宵の間のたえ降る霜の消えぬればあとにこそ鐘の勤行のこえ 
                            <根香寺>
  根香寺は、讃岐の紅葉の名所。山間の寺ゆえに紅葉の発色の具合も大変よい。11月のシーズンになると、交通整理の警備員が配置されるほど寺は紅葉狩りの人々や巡拝者で賑わう。讃岐の紅葉の始期は平年、11月15日(栗林公園の標準木)であるが、根香寺の紅葉はこれより1週間ほど早いようである。
八栗寺(85番)−高松市牟礼町−
八栗寺 八栗寺は、五剣山の直下に建つ寺。四国88箇寺第85番札所である。琴電・八栗駅(やくりえき。志度線)を下車し、山麓の登山口駅から寺まで「八栗ケーブル」の便がある。駅に向かう道筋に庵治石の石材店が軒を連ね、うどん店が2店ある。
 春の日、登山口駅の脇から遍路道を通り八栗寺に参拝。急坂の遍路道を登るほどに、白衣にすげ笠、金剛杖姿のお遍路さんや乳母車を押し寺に向かう婦人に出遭う。道端で山藤が咲いている。
  八栗寺は、安徳帝が安在所とした麓の六万寺の奥の院である。五剣山直下の狭い空間に、遠来の巡礼者を歓迎するように本堂の大屋根が広がる。境内は香煙で煙り、参拝客で混雑し縁日のような雰囲気。境内は庶民的な明るい雰囲気に包まれている。
  本堂の左手前に、歓喜天を祀る「お聖天さま(聖天堂)」がある。こちらの方も参拝者が随分多い。歓喜天は頭が象、男女二体が抱き合う体と伝えられるが秘仏である。境内の中将坊拝殿、多宝塔、大師堂を巡る。半跏思惟や千手の手をした菩薩や観音の姿をした石仏が随分多く、境内や参道に見飽きない風景がある。
 五剣山の半島周りは天然の良港。源氏を迎え撃つ平氏の軍船500艘が待機した「武者隠し」、檀ノ浦、那須与一の的の浜など半島周りは源平合戦の古戦場で埋まっている。大坂峠越えの義経の奇襲によって、平氏は総崩れ。志度から長門の壇の浦に落ちて往くのである。平家の哀れをとどめる古戦場は春の日に霞のなかにある。
  後年、中村宗トが八栗寺の山門近くに城を築いている。天嶮の城は土佐の長宗我部の攻撃にも耐えたが、追撃を恐れた宗トは庵治から備前に逸走。緑風のかなたに幾多の歴史が見え隠れしている。−平成15年5月−