高潮の恐怖−高松市−
高潮被害(扇町)
高潮被害(国道11号線、松島町)
高潮被害(松福町)
  大型で強い台風16号が日本列島を吹き抜け、各地で大きな傷跡を残した。
  平成16年8月30日深夜、台風の接近と高松港午前0時の満潮時が重なり、夜半から一気に潮位が上昇し遂に市街へ大量の海水が流入した。海岸端の道路を越えた高潮は、高松、牟礼、庵治など瀬戸内海の市街や小豆島、直島など島嶼部を容赦なく襲った。高松市街の民家の畳は浮き、自動車は水没し、市街地にボートが漂着したところもあった。JR高松駅から西方面では香西本町、瀬戸内町、扇町、昭和町、東方面では福岡町、松福町、松島町辺りの被害は特にひどいものだった。
  夜明け方、住宅街のあちらこちらでまだ退きひきやまない潮に膝まで浸かりながら、屋内から泥を掻き出す人や安否を確認しあう人影がみえはじめた。「夜中の10時過ぎからあ〜ゆうま〜に浸水しました。潮が胸まできて、玄関先で渦を巻いとった。」(瀬戸内町住民)、「潮が急に高こなって深夜の1時半過ぎに畳が浮き始めた。生きた心地がせんかった。」(扇町住民)、「潮はガイにあげてくるし停電はするし、おとろしいことでした。高潮はたまにくるけどここまではこんかった。」(松島町住民)、「自動車を潮に浸けてはいけんと思って逃げ回っとった。」(昭和町住民)と高潮の恐怖を語る。
  夜が明けた7時過ぎ、JR高松駅や操車場近くの高架下道路(写真右上)は池となり、琴平電鉄今橋駅付近の浸水地ではゴムボートで移動する人や立ち往生する自動車が目立ち、松島では国道11号線が冠水し通行止め。道々のマンホールからぼこぼこと噴水のように潮が吹き上がっている。
  潮を被った予讃線の線路は一気に赤錆が浮き、線路の点検が懸命に行われている。琴電志度線は終日運休が続いた。
■ 高松は瀬戸の商都。水際に港湾施設や商業施設、漁業施設、道路、市街が連なる。時たま高松を見舞う高潮は住民生活の驚異。東京湾岸、とりわけ千葉県浦安海岸などでは三階建てのビルほどの防潮堤が湾岸に築かれている。しかし、水際を生命線としてに発達した高松においては、高い築堤は諸活動の妨げになることもある。恒久的な防潮対策とともに、雨水などの早急な排水対策が望まれる。しかし、海水面との差が少ないいわばゼロメートル地帯における排水対策については、大口径の排水管路を敷設しても高潮と重なれば効果は薄く、巨大な地下貯水池を建設しようとすれば巨万の資金が要る。鉄道と道路の交差部分の改良は都市の模様替えになるほど大きな課題もあるだろう。防潮対策には課題がつきまとう。
■ 地球の海水面は年々上昇を続けている。海水温が高く、一年を通じて一番海水面が上昇する夏季の満潮時に、洪水と台風の吹き寄せが重なると高潮は猛威をふるう。備讃瀬戸はくびれた海峡。台風が襲来すると瀬戸は堰となり高潮は一層威力を増す。今回の高潮はこのような悪条件が重なった。改めて防潮、雨水両対策の緊要性を私たちに問いかけている。加えて昼間の高潮を想定すると、背筋が凍る思いがする。急襲する高潮と逃げ惑う人や自動車が市街に孤立し、大混乱に陥る可能性も否定できない。
■ 東南海・南海地震も遠い将来ではない。津波による高潮の恐怖がつきまとう。海水面は毎年上昇を続けている。一国の経済諸活動の公共性が大気にも海水にも問われる今日、私たちはちょっと立ち止まり緑の保全、増殖、排ガス抑制など地球温暖化抑止に思いをいたし、高松の教訓を世界に訴えることもできるだろう。海水面の上昇が30aほど抑制されていたならば高潮の被害は軽微なものだったと考えられるからである。
 私は思う。世界の経済は石油を熱源として或いは耐久材の基礎的原材料として製品を製造、消費し、自動車の普及は爆発的に進み生活水準を向上させた。一方、石油の偏在が危機をうみその安定的な確保や資源開発に奔走し続けてきた。石油を失うことは国家経済の衰退にも等しい危機感を持って私たちは奔走してきたのである。世界の石油資源は、このままのペースで消費が続くと約100年で払底するといわれる。しかし石油代替エネルギーの使用は遅々としている。自動車の燃料や家庭の電力供給に燃料電池がどれほど普及したであろうか。水素ガス・スタンドをみかけることもない。マイカー使用の抑制による公共交通機関の利用率が急増したとも思えない。巨視的には、東西両陣営の防衛出動に伴う受益国とのコスト負担のあり方など諸問題に波及する可能性も否定できない。
 石油の大量消費が徐々に地球を蝕み、海面の上昇など人類の生存環境の維持にも暗い影を落とすようになった。地球温暖化は、石油を基礎とした経済のあり方をも問い直す重要な問題が潜んでいるように思う。それほど事態は深刻である。
  ともあれ、高潮の常襲被災地帯とならないようまた、美しい瀬戸の商都・高松がいつまでも安全な都市であるよう諸対策が講じられるよう願うとともに、被災され死亡された方々のご冥福をお祈りしたい。−平成16年8月31日−