讃岐の崇徳上皇−坂出市林田等-
雲井御所
雲井御所跡
白峰陵
  五色台の山腹から綾北平野を眺めると眼下に青梅川、その西に綾川が流れている。川と川との間隙に、お椀を伏せたようなかたちをした雄山(おんやま、164b)、雌山(めんやま、140b)がかたちよくおさまっている。まことにのびやかな景観が春霞にうつろい、条里の痕跡が古代の讃岐世界を映しだしている。
  坂出は国府が置かれた讃岐の中心地だった。野山のかなたに国司道真の足跡を偲ばせ、栄華の影に哀史を伝えるところ。工業地帯に林立する煙突から盛衰の煙が立ちのぼるようにもみえる。
  坂出は、保元の乱に破れ讃岐に配流された崇徳上皇の哀話を伝える。都を立った上皇は、直島の泊ヶ浦の行在所に滞在し、讃岐に入った。泊ヶ浦に崇徳天皇宮が建ち、傍らに上皇崩御の後、讃岐に旅した西行法師の石像が上皇に寄り添うように祀られている。
   松山や松の浦風吹きこしてしのびひろう恋わすれ貝
   ここもまたあらぬ雲井となりにけり空行く月の影にまかせて
  直島から讃岐に入った上皇は、雄山、雌山を望む綾川のほとりに造られた御所に移った。御所は、上皇の詠歌にちなみ「雲井御所」とよばれた。綾川の右岸、坂出市林田に御所跡(写真上)がある。故地に高松藩主松平頼恕が建立した石碑)が建っている。上皇は雲井御所で約3年間を過ごす。
鳴けば聞く聞けば都の恋しきにこの里過ぎよ山ほととぎす
  雲井御所から府中鼓ヶ丘の木の丸殿に遷った上皇は、御殿で6年間過ごし、1164年(長寛2年)に崩御。御年46歳。五色台の白峰に御陵(写真上)がある。頓証寺殿脇の遥拝所前で、西行法師の石像が上皇に寄り添うように立っている。