巨木の棲む村-一宇村-
白山神社のモミ(幹回り
6.3b樹高38b)

  一宇村は、茶や柿、山菜などの農産物の生産が盛んな人口約700人の村である。剣山(1955b)、塔丸(1713b)、丸笹山(1712b)・・・。一宇村は高山が群立する四国山地の村。はるか北辺の阿讃山脈と対峙する。険しい山塊の襞を縫う貞光川の本支流で、「土釜」、「鳴滝」や大岩の奇観が渓谷を飾っている。山の急斜面に建つ住家は、徐々に標高を増し天辺に至る。
 高山地帯は、裾野から頂上に至る植物の垂直分布を生み、樹木の諸相を豊かにする。 一宇村の入り口(国道438号線)に巨木探勝の案内板がある。エノキ(日本1位)、アカマツ(四国1位)、トチノキ(四国1位)、モミ(四国2位)、カゴノキ(四国3位)、エゾヒノキ(徳島1位)、カツラ(徳島1位)・・・等々。
  森に分け入り、巨木の前に立たれよ。そしてその途方もない巨大な森の精と対話されよ。ら清々しく、晴れ晴れとした気分になるものだ。−平成16年9月−
エノキ 一宇村
エノキ(赤羽根大師)
幹周り6.8b
カゴノキ(地蔵の森)
幹周り5.15b
一宇村
撫養の昔日−鳴門市撫養町林崎−
  徳島の古老は、鳴門を撫養(むや)におきかえて、「撫養へでかける」というような表現をする。撫養は鳴門の古くからの中心地だった。のみならず、淡路島の南西に位置する撫養は四国の門口。畿内に近く、四国侵攻を図った豊臣秀吉が最初に上陸した地点は撫養だった。足利家との縁も深く、第10代将軍足利義稙や第14代将軍足利義栄が没したところとしても知られている。
  JR鳴門駅から東に向かい、撫養川を越え林崎の町通りを歩くと袖壁のうだつをあげた商家が並び、廻船で賑わった港町の古色を町通りにとどめている。
  通りの東に標高数十メートルの小高い丘があり、麓に「妙見神社」の大きな鳥居が建っている。山上の「鳥居記念博物館」の天守閣が町通りからみえる。
  山上は、蜂須賀家の阿波九城のひとつ撫養城のあったところ。1638年(寛永15年)に廃城となった山上の城跡に、妙見神社や鳥居記念博物館が建ち、彫刻公園がある。公園に展望台が整備され、眼下に鳴門の大観がひろがる。
  鳥居記念博物館は、人類学者であり考古学者であった鳥居龍蔵博士の功績を称え40年ほど前に建築されたもので,、三層の天守閣を備え、博士の研究資料などが展示、公開されている。
  撫養城のよすがは妙見神社の石垣に僅かに残っている。神社拝殿の手前左側に石灯籠が3基あり、うち1基に‘江戸廻船’と大書して高田屋、和泉屋、佐堅屋など寄進者の屋号などが彫り込んである。慶応年間の奉献である。拝殿前の陶製の狛犬は、大きく実に立派なものである。金刀比羅神宮の参道(一の坂)の狛犬とよく似ている。金刀比羅の狛犬のポーズが座った状態であるのに対し、妙見神社のそれは動的である。備前焼ではないかと思う。ともに海事関係者の信仰の厚い神社ゆえ共通するところも多いのだろう。「開運、延命、長寿、安産などの願掛けする人も多いが、特に海上交通安全の神様として、船を持っている人の参拝が多いです。桜の頃は賑やかなものですよ。」と、地元の人。−平成17年1月−
潮筋を 花の梢に 見下ろしぬ <尾形南風>