小歩危−山城町−
  四国三郎・吉野川は、四国山地の中央で横谷となってその東方を祖谷山(いややま)、西方を大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)に分けた。
  小歩危の白川の峡谷を遡ると奥小歩危。白川の右岸にぽつりぽつりと集落があり、山腹に拓かれた畑や人家が見える。川原に下り、白っぽい川原石の泥を擦ると青い肌が現れる。いく筋もの線状痕のある片岩である。川原が白く見えるのは減水によって石に付着した泥が乾燥したせい。白川をさらに遡ると、峡谷は次第に深くなりやがてまた谷底が姿を見せはじめ、高知県境の山・三傍示山(1158メートル)が近いことを予感させる。奥小歩危温泉がある。
  峡谷の山ツツジ、山藤が満開。小歩危の谷に少し遅い春を告げている。−平成15年5月−
峡谷を往く(勝浦川)-上勝町正木-
  長野から九州に延びる中央構造線は、四国に入ると吉野川に沿って走っている。その南に御荷鉾(みかぶ)構造線、そのまた南に仏像構造線が走り、四国山地に深い襞を刻み、さらに下方侵食によって深くえぐられた渓谷はV字峡を成している。
  雲早山(標高1496b)東麓の源流地帯から流れ出した勝浦川は、中央構造線の外帯・御荷鉾構造線に沿い発達した河川である。河川は、上勝町、勝浦町、小松島市、徳島市を貫流し紀伊水道に流入する。
  勝浦川河口から県道に沿って川を遡ると、河川の本・支流域の段丘に集落が点在している。勝浦の坂本、上勝の正木集落など日当たりのよい斜面に人家が立ち並んでいる。
  木沢村に至るこの街道沿いには、茅葺屋根の形状を残し亜鉛引き鉄板を被せた古民家が随分多い。そのような住宅を私は大屋根住宅と呼ぶのであるが、屋根は、赤や青、銀色に塗装され、山腹に浮かび或いは渓谷の水辺を飾っている。阿波特有のまるみを帯びた大屋根或いは棟から四方に直線的に葺きおろした大屋根が混在しているが、その多様さがまた集落を民芸的に美しいものにしている。山村特有のこの景観は、私たちが失ってはならない日本固有の文化のひとつであろう。
  勝浦と上勝の町界にある新坂本トンネルを抜けると、上勝町に正木(福川)という集落がある勝浦川右岸に佇む大屋根住宅が美しい。これほどまとまって大屋根住宅が保存されているところはそう多くはない。民芸的な美しさもあり時間がたつのも忘れてしまう。集落の上流は渓谷をなす。
  河原に下り、渓谷の風雅を観ずるのもよいだろう。道を木沢方面に進むと、正木ダム(写真右上)の湖畔に二階建ての「いっきゅう茶屋」がある。1階は農産物の販売所、2階は食堂。見晴らしのよいテーブルで時間を忘れてしまった。-平成16年11月-