大歩危峡-山城町-
  徳島の人々は、三好郡、美馬郡など吉野川の山間地域を「空(そら)」と呼ぶ。標高1000b級の山が聳え、人々は山腹に耕地を開き、住家は天辺に至る。
  四国のほぼ中央部に位置する三好郡は四国の辻。香川、愛媛、高知の各県に接し、国道32号線が縦走している。三好の中心地、池田町は空へのいざないの町。古くは刻みたばこなどの集散地として栄え、帆かけ舟が往来する吉野川上流の港町だった。
  池田町から国道32号線沿いに高知方面に進むと、吉野川は一変して深い峡谷に姿を変える。大歩危、小歩危峡である。峡谷は、うっすらと青みを帯びた片岩に覆われ、奇勝の谷に四季折々に青葉若葉や紅葉が彩りを添える。
  大歩危峡は深いところでは水深8〜9bほどもある。グリーンの川面がひときわ鮮やかにみえる。深い淵をゆらり、ゆらりと遊覧船が往く。
  大歩危にある「ラピス大歩危」は石の博物館。大歩危の生成の過程や地層の成り立ちなどを知ることができる。宝石の原石なども展示されている。−平成16年11月−
北灘の魚霊塔-鳴門市北灘町-
瀬戸内海環境保全特別措置法第1条 
  ・・・瀬戸内海の環境の保全に関する計画の策定等に関し、必用な事項を定めるとともに、特定施設の設置の規制、富栄養化による被害の発生の防止、自然海浜の保全等に関し特別の措置を講ずることにより、瀬戸内海の環境の保全を図ることを目的とする。
 昭和48年10月、瀬戸内海環境保全特別措置法が制定され、富栄養化による被害の発生の防止など瀬戸内海の環境の保全が高らかに宣言された。法制定の前年、播磨灘に赤潮が発生し、鳴門市北灘の養殖ハマチ350万尾が死滅するという未曾有の惨事となった。北灘の漁民は訴訟団を結成し、昭和50年1月、企業、国等を相手取り赤潮被害による損害賠償を徳島地裁に提訴。
 同じ頃、隣町の香川県引田町の漁民も高松地裁に賠償を求めて提訴。高松地裁で合併審理が続けられ、昭和60年9月、和解が成立した。この和解の経緯について、北灘の国道11号線脇に建てられた記念碑(碑文)に次のように刻まれている。
(碑文)
  ・・・瀬戸内法に基づく規制や指導によって、国や自治体は勿論、企業の汚染物質に対する法規制も進み昭和60年9月、被告企業も企業責任を認め海域浄化への努力を約束したので、大乗的見地に立って和解した。・・・  平成7年7月吉日 北灘赤潮訴訟団 北灘漁業協同組合
北灘 魚霊塔  碑文の脇に魚霊塔が建ち、観音像が播磨灘を見守っておられる(写真左上)。魚族の水質への反応は敏感である。魚族は、高度成長期における海洋の環境悪化を、その身をもって私たちに教えたのである。瀬戸内海は、いまハマチやタイ、ヒラメなどの海の牧場となり養殖筏が浮かぶ海。いつまでも安全で美しい海であることを祈りたい。-平成16年11月-