小比賀家住宅−高松市御厩町−
  炎天、燃えるような暑い日、高松市の郊外、御厩の水田に一陣の風が吹く。やがて、高く長い塀に遮られ吹き上がった風が北門から主屋を抜け、午門(長屋門)に涼風を運ぶ。長屋門の軒下で涼をとる者は、下男や女中などの小比賀家(おびかけ)の家人。・・・そのような光景が目に浮かぶほど、江戸時代初期の姿そのままに主屋や土蔵、米蔵、長屋門などが4百年の風雪に耐え見事に保存されている。
  小比賀家は、甲斐源氏・武田氏の末裔。天正10年、武田氏の滅亡後、讃岐に移り住み、宝山城の城主や御厩の大庄屋などを代々勤め、現当主は第17代目。
  御厩は、高松市街の南西方に位置する。西方で堂山、六ツ目山など美しいビュートが田園を飾る風光明媚なところ。植木鉢などの陶製焼物の生産が盛んである。
●  小比賀家の広大な屋敷は、約4,400平方メートルもある。萱葺きの長屋門を入ると表庭。その先に、大玄関、小玄関、大戸口と3箇所の出入口を備える寄せ棟造りの主屋がある。平生の用務は大戸口が用いられた。外来の者は、大戸口の左側に造られた頼モシ口(タノモシグチ)から家人に用向きを伝え、大戸口から広庭(土間。写真左の手前)に入り用を足したのである。
  広庭はときに白州となった。簡易な法廷として裁判が行なわれることもあったのである。広庭の隅にカマドが置かれ、広庭の上部は吹き抜けになっている。太い梁やヤマト天井が美しい。
  頼モシ口の真上に切妻本瓦葺の煙出しが付いている。大玄関と煙出しのバランスが実によい。萱葺き屋根で煙出しが残る住宅は、高松市内では小比賀家と川部町に一軒残るぐらいだろう。本瓦葺のオダレ(庇)が実に見栄えよく主屋を飾っている。
  座敷から庭園(池泉廻遊式築山庭園)や内庭などを眺めるのもよい。堂山や袋山などを借景にした庭園である。住まいに総合芸術の花がひらいている。
● 長屋門は、東西36メートルもある日本最大級の門(写真上)である。見上げるように大きく、実に堂々とした立派な門である。白壁の上部に連子窓が6箇所ある。その左右に土塀が巡らされ屋敷周りを囲っている。長屋門の大門を挟み、東側が牛舎と馬舎(写真右)、西側は供待所から納屋に改造され、民具が展示されている。
  長屋門の前は、松並木の竪馬場(写真左)。非常に珍しいものである。これもまた大庄屋の権威を伝える遺構であろう。
 小比賀邸は、毎月第3日曜日に10時〜16時まで公開されている。邸宅にご当主が居住されており、静かに見学させていただくとよい。
● 長屋門は、別名「武家屋敷門」と呼ばれる。庄屋や武家、郷士などが長屋門を設けた。明治維新後には、没落士族などが長屋門を売却することもあったようである。戦災などにより、高松藩の武家屋敷町であった番町に長屋門は現存していない。錦町に1棟残るのみである。
  高松市郊外の円座、鹿角、川部、成合、三谷、屋島東などにおいて豪農等の長屋門の分布をみることができる。特に、鹿角町は、長屋門が集中的に所在する町。法恩寺界隈を歩いていると、何だかタイムスリップしたような心地よい気持ちになる。
  県下に所在する長屋門には、番町から移設されたものも多いのであろう。-平成16年7月-

円座

屋島東

三谷

鹿角
細川家住宅