松山城−松山市−
     松山や秋より高い天守閣  <子規>
 
  松山城の天守閣が道後平野の真ん中で威容を誇る。城は、17世紀初頭に加藤氏が標高132メートルの勝山を拓き、実に二十数年の歳月をかけ築城したもの。天守閣のある一之丸から順次二之丸、三之丸が整備され、広大な城郭の要所要所に門や櫓を巡らせた城は、同じ連立式平山城の姫路城、和歌山城と比較しても突出して堅固な城といわれる。
  初代藩主加藤氏は、徳川家の親藩。二代目藩主蒲生氏、三代目藩主松平氏も大いに忠勤に励み、伊予の豊かな生産力を背景にして二之丸などの整備や補強に努め、城は一層堅固さを増した。
  天守閣までロープウェーやリフトが運行している。蝉時雨が降りそそぐ樹林越しに松山の市街が見え隠れしている。盛夏の今日、蝉のこえが滝音のように聞こえる。