さぬき広島-丸亀市-
さぬき広島
王頭山
江の浦港
  広島は、丸亀港からフェリーで約25分。島周りは約18キロメートル、塩飽諸島中で一番大きな島である(写真左上)。江戸期には人名制度のもとで栄えた塩飽水軍の島。銘石青木石はこの島の産。
 島の立石、江の浦、甲路、青木、市井、茂浦に港が開け、浦々では漁業が盛んである。人口は480人ほど。
 島の西に王頭山(312)、心経山(213メートル)が、東にけふ山がそびえる。花崗岩に覆われた山肌から岩石が露出してはげ山のようにみえる。 けふ山は、切り立った岩石の隙間から樹木がはえでたような特異な景観を呈する山。海中から突き出た岩石越しに本島、牛島がみえ、南北に瀬戸大橋が横たわる。
  島の東部、けふ山の南麓に立石という集落がある。海岸沿いに八幡神社がある。江戸期から明治期にかけ奉献された常夜灯や玉垣などに尾上吉五郎、岡七良兵衛・・・と大船持ちの名が刻まれている。玉垣に名を連ねる廻船問屋が随分多く、この島の富と栄華を物語る。文久3年に尾
咸臨丸の乗組員の墓
(立石の寺)
梵鐘(立石の寺)
尾上邸
上吉五良(郎)によって奉献された陶製の狛犬一対は当時の輝きをいまも失ってはいない。備前焼と思うが金刀比羅宮や撫養(鳴門)の妙見神社の狛犬より少し小形であるが立派なものである。
  集落の一番山寄りに廻船問屋の旧尾上邸(写真右下)がある。青木石を積みた見上げるような石垣の上に屋敷を構え、長屋門を備える。 尾上邸の東に寺がある。今は無住寺と地元の人。土塀に古色が漂う寺。境内に入ると鐘突き堂があり梵鐘が下がっている。形状は、牛島の極楽寺の梵鐘とうりふたつ。緑青をふき銘が判読できないがこの梵鐘もまた大船持ちの奉献によるものだろう。幕末にはじめて太平洋を独力で横断した咸臨丸の乗組員の墓がこの寺にある。万延元(1860)年、日米修好条約批准のため渡米した幕府使節団の警護船・咸臨丸の水夫、火夫50人中30名は塩飽出身者が占め、未曾有の快挙を成し遂げた人たちの墓である。
  畑でキビタキのさえずりが聞こえる。爛漫の春も近い。−1平成17年2月−