塩飽諸島 (粟島)-三野郡詫間町-
粟島遠景
旧国立海員学校
 瀬戸内海のほぼ中央から突き出た庄内半島の東に、周囲16キロ余の粟島(あわしま)がある。詫間の須田港から粟島港まで船で15分。三山(紫谷山、阿島山、城ノ山)が聳え島の麗姿を瀬戸内海に映している。
 粟島は、塩飽諸島のひとつ。盛時には88隻の北前船を支配し、瀬戸内海を縦横に航海した水軍の島だった。港に近い海岸沿いの集落に、立派な土塀で囲まれた商家などが往時を偲ばせる。水軍の伝統は明治期に村立海員補修学校に結実し、戦前は国立粟島商船学校として、戦後は国立海員学校として海運業界に人材を供給し続けた。海員学校は昭和62年に廃校となったが、校舎は資料館等として保存されている。
 粟島の魅力は、島の浦々に発達した白砂の海岸と豊かな森。バベ、センダン、トベラ、アベマキ、エノキなど樹木の諸相は豊かである。上新田、中新田、東風浜、北灘など美しい海岸が島周りにある。まもなく海水浴客で賑わう。-平成16年7月-
塩飽諸島(志々島)-三野郡詫間町-
 志々島は詫間湾の北西に浮かぶ周囲4キロメートルほどの島(写真)。隣島の粟島から定期船で30分。漁業と花卉の栽培が盛んな島である。急斜面に人家が建ち、手入れの行き届いた畑は山頂に至る島だった。「終戦直後は1,000人余り暮らしていましたが、いまは30人余り。」と島の人。
 島周りは豊かな樹林で覆われている。圧巻は、幹周り12メートル余のクスノキの巨木。樹齢1000年を越え、今なお樹精は旺盛である。長く伸びた枝が地上に這い、急斜面に生えでたクスノキの主幹を支えている。クスノキは、志々島港から集落内を通り、尾根を越え谷筋を少し下ったところにある。
 志々島はへは詫間町須田から定期船(粟島経由)が出ている。-平成16年7月-