南予の海辺
シラス干し  四国の西端で佐田岬半島が西方にのびる。その半島の付け根から宇和海を右にみて南下する一筋の道(国道378号線)が、海岸線を蛇行しながら或いは尾根の稜線を登りくだりしながらゆらゆらと南予の海辺に糸を引いている。
 紺碧の宇和海は天の賜物。入り江入り江に港が開け、タイやヒラメの養殖筏が浮かび、入り江の岬、岬にバベ(ウバメガシ)の純林が常緑の光を放ち、ヒトツバが林床を埋める。伊予の農家は、傾斜度30度を超える山腹に一段また一段と石垣を積み上げミカンを栽培してきた。一条のモノレールの軌道が天辺のミカン畑に消える。八幡浜、三瓶、明浜、吉田・・・、人と海とが心地よく共存する南予の海辺こそ人と自然が織り成す綾錦。
  夏の日、南予の海岸べりで、養殖筏でせわしく作業する人やミカン畑の潅水に余念のない人々の影が見え隠れしている。南予の海辺が美しい。海と山とがきらきらと輝いている。−平成15年8月−
北針物語−八幡浜市真穴−
真穴の浦
参考:瀬戸内海の打瀬船(広島県)
 大正2(1913)年5月、アメリカ大陸を目指して真穴の浦から1艘の小船が滑り出した。打瀬船うたせぶね、写真右下)と呼ばれた50トンばかりの帆船に僅かな食料を積み、北針と呼ぶ木枠の磁石を頼りにアメリカ大陸を目指した。
 太平洋の荒波に揉まれ苦闘すること58日、ついに一行はサンフランシスコの北、ポイントアレナに上陸。コロンブスのアメリカ大陸の発見に匹敵するものと報じられた。
 その快挙は、北針物語として浦人に語り継がれ、真穴の船出の浦に顕彰碑が建っている。浜に立ち、海に生きた人々の壮挙を思うのもよい。−平成17年8月−