茂兵衛堂−大島郡久賀町椋野−
茂平堂 山口県の周防大島の久賀町に椋野という在所がある。半農半漁の村は、周りの芸予諸島の島々と変わることなく村の背後の山腹に築かれた段々畑が天辺に至る純農村である。
 桜が散るとこんどは5月の連休の頃、シイの花が野山を埋める(写真下)。もっとも、よく耕された耕地はシイの侵食を許さない。したがって褐色の金波は神社の境内地や村落の入会地でその存在を主張するのである。その風景は照葉樹林を棲家とした私たちの祖先の原風景だ。
 弘化4年(1847年)、四国巡拝の先達、中務茂兵衛が当地で生を受け、四国へ渡ったのは19歳の春だった。故郷に戻ることなく、お大師さんと二人連れ。大正11年3月、76歳で没するまでに実に280回余の四国巡拝を果たし、遍路道に220余基の道標を建てたのだった。
 世界に類例のない四国巡拝の風は、そうした先達の功労によるところ大である。私たちはひたすら歩き続けた茂兵衛の愛と真を思わなければならない。そして、生涯、茂兵衛の脳裏に宿った源泉は、四国の野山と違うことのない椋野の野山の風景ではなかったか。まことにのびやかなよい風景である。
 椋野の山腹に、茂兵衛rの墓所と茂兵衛堂(写真上)がある。茂兵衛堂は20数年前に建立され、縁日(毎月21日)には多くの参詣者があるという。

椋野の風景