飛鳥の残影(法安寺跡)−小松町北川ー
  “・・・燧灘から東風が吹きはじめ菜の花畑にかげろうが立つ頃、講堂の戸を開け放ち眠そうな目をこすりながら金堂の屋根越しに聳える塔をぼんやりと見つめる若い僧がいる。伊予の国庁から客人を迎え催す法会のため、修法の学習に没頭するあまり、とうとう夜が明けてしまった。同僚の僧はもう回廊の拭き掃除に向かっている・・・”そんな光景が目に浮かぶようである。
  法安寺は、中門、塔、金堂、講堂が南北の直線上に並ぶ四天王寺式伽藍配置を備えた飛鳥時代の46か寺の一つである。南北朝以来,、相次ぐ戦乱によって堂宇は失われたが、金堂跡、塔跡(写真左上)に礎石や付近の田圃から出土する布目瓦が僅かに往時を偲ばせてぃる。
  金堂跡に建つ法安寺は、享保年間に立てられた薬師堂を明治時代に改築し本堂(写真右上)としたもので、「お薬師さん」として地元の人々に親しまれている。千本牡丹寺としても有名な寺である。
  門前の民家に樹齢約150年、根回り約1.6bのサザンカが植わっている。ちじれた千手の枝が絡まるように伸びるさまは見事なものである。晩秋に花をつける。 平野の彼方に石鎚山の霊峰が天に横たわっている(写真下)。
香園寺(四国88箇所第61番札所)−小松町南川−
 香園寺は、四国88箇所第61番札所、聖徳太子の開基の寺。本尊は大日如来。本堂と大師堂を兼ねる近代的な大聖堂(2階)に祀られている。聖堂の右手に子安大師堂がある。寺は、子安の大師さんとして親しまれ、国外の信徒も多いという。
  境内の参道右手に山頭火の句碑が二基並んでいる。
   ● 南無観世音おん手したたる水の一すぢ(山頭火」)
   ● 秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり(山頭火)
宝寿寺(四国88箇所第62番札所)−小松町新屋敷−
  千年を越える社歴をもつ社は、たいがい戦乱、天変地異による堂宇の焼失・損壊と再建の繰り返しの歴史を持つものが多い。四国88箇所第62番札所宝寿寺もまたそれらの災難を一通り受けた寺である。加えて、明治時代に予讃線敷設にともなって当地に移転。これは災難ではなく本尊十一面観世音菩薩に世にための功徳をいただいたというべきであろう。
  宝寿寺は、伊予国の一宮大山祗神社の別当寺を務めた由緒を持つ寺である。門前に「一国一宮」の石碑が立っている。境内の正面に本堂、右手前に大師堂がある。安産観音像の周りに珍しい落葉高木のチシャノキが植わっている。境内には日本庭園がある。清々しさが漂う寺である。