浄瑠璃寺(四国88箇所46番札所)−松山市浄瑠璃寺町−
永き日や 衛門三郎 浄瑠璃寺 <正岡子規>
 岩屋寺から三坂峠を越えると浄瑠璃寺。四国88箇所46番札所、本尊は薬師如来。
 浄瑠璃寺の辺りはまだ静かな田園の雰囲気がよく残っているところ。参道の石段脇に子規の句碑があり、永き日や…の句が刻まれている。四国遍路は、托鉢をしていた弘法大師の鉄鉢をほうきで叩き落し、鉄鉢を割ってしまったことを悔やんだ衛門三郎が、大師の後を追って札所を回り始めたことに由来するという。浄瑠璃寺の近くに、衛門三郎が遍路の事始に一夜を明かしたという小村大師堂(大蓮寺境外仏堂)が野中に建っている。大阪からやってきたという遍路がひとり、大師堂の前でぼんやりと休憩の様子。「四国遍路は5回目になります。たんぼ周りを歩いていましたら土地の人から仏堂の話を聞きお参りにきました。この辺りの風景が国東(くにさき)によく似たところがあってみとれていました。ここはほんまによいところです。」と、感慨深げ。
 浄瑠璃寺は、ご利益のよろず屋と親しみを込めて土地の人はいう。樹齢千年以上という境内のイブキの樹下に立つ地蔵は延命や豊作祈願に霊験があり、また一願弁天は芸術上の願いを一つだけ願いを叶えてくれるといい、さらに仏足石や仏手石、仏手指紋石はそれぞれ健脚、技能、文筆上達などに霊験があるという。本堂や、大師堂なども古色が漂うよい雰囲気がある。−平成17年8月− 
八坂寺(四国88箇所第47番札所)−松山市浄瑠璃寺町−
 八坂寺は四国88箇所第47番札所。本尊は恵心僧都の作と伝わる阿弥陀如来。50年に1度開帳される。次回は、2034年という。
 寺の歴史は古く、役小角によって開基され、伊予国造・越智玉興が文武天皇の勅願寺として西暦701年(大宝元年)に創建した寺。修験道の根本道場として栄えたが長宗我部軍の兵火によって堂宇は焼亡。その後もしばしば兵火によって焼亡と再建が繰り返された。現在の本堂はコンクリート造り。清々しい境内に本堂、大師堂が佇む。−平成17年8月−
西林寺(四国88所第48番札所)−松山市高井町−
  西林寺は、四国88所第48番札所。本尊は十一面観世音菩薩。西暦741年(天平13年)、行基の開基。寛永年間に火災によって堂宇は消失したが、松山藩主や同寺の覚栄法印(西林寺中興の祖)らによって順次再建されてきた寺歴がある。
 仁王門をくぐり石畳を歩むと正面に本堂、その横に大師堂がある。本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。
 寺の西方に涌水のある杖ノ淵公園がある。弘法大師が当地へ巡錫のおり、錫杖で探り当てた水脈のひとつと伝えられている。−平成17年8月−