伊藤博文生家−光市大字束荷−
伊藤博文生家
旧伊藤博文邸
旧伊藤博文邸旧伊藤博文邸、伊藤公資料館が整備され、伊藤公の遺品等生前資料が資料館で展示、公開されている。
 生家は茅葺、寄棟住宅で濡縁がある質素な農家住宅である。伊藤公は天保12(1841)年、当地で生を得て萩に転居するまで9年間、この住宅で過ごしたという。
 萩に出て吉田松陰の塾生となった博文は高杉晋作、木戸孝允らとともにもに維新の志士となって近代日本の礎を築いたひとりである。
 明治18(1885)年、初代内閣総理大臣を務めたが、ハルピン(現中国)で凶弾に倒れた。享年69歳。明治維新は、下層武士、農民、町人ら庶民によって成し遂げられた偉業。博文の生家に入り、庭先から束荷の田園など眺めているとそのような感慨がわくものである。旧伊藤博文邸は明治43(1910)年の建築。木造モルタルの洋風建築物。二階に和室、床の間などがある。−平成19年2月−
 海峡の町−上関町長島、室津−
上関海峡 上関の町並み
 上関かみのせき海峡を挟んで相対峙して栄えた港町がある。室津(熊毛)半島の先端部の室津と対岸の上関である。
 上関は、藩政期に萩藩の御茶屋や番所が設けられたところ。御茶屋は、萩藩主や朝鮮通信使、参勤交代で往来する諸大名の宿泊、接待所として利用され、廻船が往来する繁華な港町であった。
 いま海峡の町は漁業や畑作が盛んであるが、商船、タンカーが往来する海の銀座であることには変わりがない。町中に入ると切り妻、妻入りの白壁造りの町屋が散在し、往時の繁栄を路地に映している。上関には、菱形をした珍しいむしこ窓のある商家もみられる。−平成18年4月−