熊野の筆−熊野町−
熊野筆 農作物の栽培に適地適作という格言がある。気候、風土が作物の成長に適合し、生産性が高く、流通の便もよいところは一大産地に発展する。私たち消費者は、産地間の競争にも期待をかけ、品質がよくより安価な商品を求めるという消費者意識を醸成してきた。
 工業製品はどうであるのか。製造工程の合理化や流通の高度化等が今日ほど進化しても、やはり主産地が形成されているものがある。プロからアマチュアまで根強いファンがいる「熊野の筆」は、そうした製品の一つであろう。
 熊野の筆は、毛筆、画筆、化粧筆など全国シェアーは80パーセント。筆司は千数百人という。熊野は質、量ともに日本一の筆の産地である。 
 熊野は、呉市の北方にある町。耕地の不足を補うため、江戸時代には農閑期に紀州、大和へ働きに出て収入を補う習慣があった。それだけなら全国各地に似たような例も多いが、熊野の人々は手ぶらでは帰らなかったのである。大和で筆や墨などを仕入れ、道々それらを売りながら帰宅したという。播磨灘から安芸灘まで、瀬戸内海には無数の島がある。そうした、行商環境が筆造りの素地となって、製法を学ぶ者が出てきたのであろう。百数十年の歴史がある。
 熊野町の市街に熊野町郷土館がある。造り酒屋を転用した町の伝統、文化の展示施設であるが、筆の関係資料の展示もあるよい施設である。郊外に足を伸ばすと「筆の里工房」がある。筆づくりの実演、実習ができる。モノづくりブームも手伝って訪れる人は多い。熊野町で行なわれる9月の筆まつり、11月の全国書画展覧会はよく知られた熊野の行事である。−平成18年5月−

 耕地の不足を補うため、江戸時代には農閑期に紀州、大和へ働きに出て収入を補う習慣があった。それだけなら全国各地に似たような例も多いが、熊野の人々は手ぶらでは帰らなかったのである。大和で筆や墨などを仕入れ、道々それらを売りながら帰宅したという。播磨灘から安芸灘まで、瀬戸内海には無数の島がある。そうした、行商環境が筆造りの素地となって、製法を学ぶ者が出てきたのであろう。百数十年の歴史がある。
 熊野町の市街に熊野町郷土館がある。造り酒屋を転用した町の伝統、文化の展示施設であるが、筆の関係資料の展示もあるよい施設である。郊外に足を伸ばすと「筆の里工房」がある。筆づくりの実演、実習ができる。モノづくりブームも手伝って訪れる人は多い。熊野町で行なわれる9月の筆まつり、11月の全国書画展覧会はよく知られた熊野の行事である。−平成18年5月−