西行の厳島参詣−廿日市市宮島−
もろともに 旅なる空に 月も出て すめばや影の  哀れなるらむ 
                               <西行>
厳島 浮殿  保延6年(1140年)、23才の若さで北面の武士を辞し、出家した西行。諸国を旅したした歌人である。仁平2年(1152年)には、厳島に参詣。山家集に、標記の歌がみえる。
 厳島神社は、当時から都人によく知られた神社であった。平清盛は、平治の乱を鎮定し、平治元年(1159年)、公卿に列すると、同年8月、厳島神社参詣を果たしている  
 同年9月には、平氏一門32人が法華経その他を厳島神社に奉納(平家納経)。このころから厳島信仰が急速に広まってゆく。西行の厳島参詣はちょうどそのころに当たる。−平成18年7月−