今高野山の総門をくぐり、参道を往くほどに、胡神社や安楽院の山門、同院の守護神・粟島神社の小さな鳥居、結界石など寺の往時をしのぶ遺産がならぶ。
寺の七堂伽藍は消えてなく、遺物、遺跡に包まれたそのさみしさがまた、今高野であり続け、訪れる者の心を惹くのである。
カラマツの喬木が観音堂の所在を告げ御影堂周りで咲くアジサイの花(写真左)は弘法への供花であろう。その屋根の形状が幾何学美をかもす安楽院は、今高野山の子院。木造十一面観音立像(2体)など今高野には仏像にもすぐれたものが多い。
丹生神社は今高野山の鎮守。木造獅子頭を伝えている。甲山町と世羅町の大部分はかつての大田荘。見事な水田が山間に広がる。大田荘は高野山の有力な荘園であった。613町歩の荘園から徴収される年貢米や諸物資は、尾道にあった倉敷地の倉庫に運ばれ、春秋2回に分け紀州雑賀港へ運ばれた。尾道の繁栄も大田荘との関係を抜きにして語れない。−平成18年7月− |