今高野山(龍華寺)−世羅町甲山−
今高野山 今高野山の総門をくぐり、参道を往くほどに、胡神社や安楽院の山門、同院の守護神・粟島神社の小さな鳥居、結界石など寺の往時をしのぶ遺産がならぶ。
 寺の七堂伽藍は消えてなく、遺物、遺跡に包まれたそのさみしさがまた、今高野であり続け、訪れる者の心を惹くのである。
 カラマツの喬木が観音堂の所在を告げ御影堂周りで咲くアジサイの花(写真左)は弘法への供花であろう。その屋根の形状が幾何学美をかもす安楽院は、今高野山の子院。木造十一面観音立像(2体)など今高野には仏像にもすぐれたものが多い。
 丹生たんじょう神社は今高野山の鎮守。木造獅子頭を伝えている。甲山町と世羅町の大部分はかつての大田荘。見事な水田が山間に広がる。大田荘は高野山の有力な荘園であった。613町歩の荘園から徴収される年貢米や諸物資は、尾道にあった倉敷地の倉庫に運ばれ、春秋2回に分け紀州雑賀港へ運ばれた。尾道の繁栄も大田荘との関係を抜きにして語れない。−平成18年7月−
 安芸の高野(福王寺)−広島市安佐北区可部町−
福王寺は、福王寺山の山頂近くにある古刹である。 弘仁2(811)年、弘法大師の開基と伝えられ、真言宗の寺。 「安芸の高野」と称せられ、幽谷深山にとけこんである。境内に杉の巨木が林立し、俗塵を拒み続ける寺。古池に菖蒲が一叢、ひっそりと紫紺の花をつけている。
 可部の山麓から表参道をゆくと、8合目くらいまで道路が整備されているが一部区間は地道。境内手前の400メートルほどの参道は、岩や石段、地道が続く荒々しい道。仁王門を潜ると、正面に本堂、右手に太子堂をみる。この寺は、山中にぽっかりとあいた天辺の寺である。境内の杉の古木が寺の歴史を物語る。四季折々に訪れる人の多い古刹である。−平成18年6月−