九州絶佳選
長崎
出島の夢跡−長崎市−
 出島は、1636年(寛永13年)に造られた面積一万五千平方メートルの扇形をした人工島。長崎市中のポルトガル人を出島に住まわせ、キリスト教の布教を禁止するための対策だった。ポルトガル人が撤退すると平戸のオランダ商館が出島に移り、1859年(安政6年)まで218年間、出島は我が国唯一の欧州に開かれた三色旗がたなびく通商窓口だった。日本の近代化に果たした出島の役割には、計り知れないものがある。しかし、閉塞感のある狭い人工島は窮屈なものだった。いわば監禁状態の生活であり、カピタンらは3年に一度の江戸参府と丸山遊女との交流を楽しみにしていたという。
 幕末に出島の機能が停止すると、埋め立て等による港湾整備等によって出島の風景は長崎から姿を消した。10年ほど前から出島の発掘調査などが行われ、行政当局によってその復元作業が続けられている。
 平戸は日本と欧州を結ぶ虹の架橋。日本の政治経済、物理、医学など諸分野の先人は、ひたすら西に向かい長崎・出島の文物を求めたのである。その夢跡が蘇る日も近い。−平成17年−