和歌山
紀伊の真土山−橋本市隅田町真土−
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と い出て行きまし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉だすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊道に入り立ち 真土山 越 ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我は思はず 草枕 旅をよろしと 思いつつ 君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに もだえあらねば 君が背子が 行きのまにまに 追わむとは 千度おもへど たわやめの 我が身にしあらば 道守の 問はむ答へを 言い遣らむ すべを知らにと 立ちてつまづく    <万葉集 笠朝臣金村>
 紀伊には空の明るさと澄んだ海の青さがある。下ツ道、巨勢道を経て宇智へと下り、行く手に見える真土山(まつちやま)を越えれば紀伊国である。大和と紀伊の国境の小丘は、金剛山塊の南端が吉野川にぶつかり、川の名を紀ノ川と変える。
 真土山の小丘に立ち西方を眺めると、明るい紀伊の眺望が開ける。古代、旅ゆくものはこの国の明るさに感動し、また家路の妻は嫉妬さえ感じるのだった。あるおとめに頼まれて金村は詠う。“・・・君が背子が 行きのまにまに 追わむとは 千度おもへど・・・”と。紀伊の万葉歌が真土山に集中するのもそうした光風への憧れが背景となっているのだろう。
 今日、国道24号線が真土山を横断しているが、古代の道は山の東側を流れる小川(写真上)に沿うようにして山裾を廻っていたようである。旅人は緑陰を求め或いは散り飛ぶ紅葉にこころ驚かせたことであろう。
 冒頭の万葉歌は、金村が神亀元(724)年10月、聖武天皇の行幸に随って紀伊国に向かった際の詠歌である。その年の2月に即位した聖武天皇の吉野に次ぐ二度目の行幸であった。和歌浦などに遊び、帰路は和泉路を歩んだ18日間の紀伊行であった。即位後、まもなく陸奥、出羽で反乱が起こったが、遥か遠国の出来事であったから、余り気にすることもなく平穏のうちに行幸は行われたのである。−平成20年3月−