滋賀
あいの土山宿−甲賀市土屋町−
坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る・・・
                          <鈴鹿馬子唄>
熊本藩の参勤交代の行列(ジオラマ)
 滋賀県に土山という町がある。藩政期に宿駅制度が設けられ、東海道53次中、49番目の宿場町として栄えたところ。土山の宿場は古来、鈴鹿峠越えの伊勢参宮や多賀大社参詣、或いは北国街道の間道が通じ琵琶湖の東岸に向う旅人の宿場町として大いに栄えた。ヤンレイ節に「・・・間(あい)の宿なる大森よりも・・・」の用例がある。たぶん「あい」の土山は、坂下宿(48次)と水口宿(50次)の間(あい)の宿とごく単純に馬子たちにうたわれたものだろう。
 徳川家康が5街道の一つとして東海道の宿駅を漸次整備し、参勤交代が寛永12(1635)年に制度化されると公私の旅人が東海道を行交うようになる。土山宿の宿高は1348石余、家数351軒、本陣2軒、旅籠44軒<天保14年宿村大概帳>を数えた。宿場は幕府領とされ、問屋場や陣屋が置かれ、盛期には伝馬は100匹、人足は100人を越えたという。そうした宿場の繁栄は、参勤交代の際などに近隣の村々に課された人馬の賦役(助郷)によって支えられる一面もあった。土山宿の場合、助郷は37か村に及び次第にその範囲はひろがり、竜王町あたりの村にまで助郷が課されるようになる。助郷は次第に金銭で相殺されるようになり、人足代理によって労働が補填されることもあったのだろう。常明寺門前の「三千仏名塔」はそうした人足代理講中による供養塔である。
 土山宿の街道沿いに「伝馬館」(入場無料)がある。熊本藩の参勤交代の行列が京人形のジオラマによって展示されている。平成13年に整備されたものであるが実に見事である。一見の価値があろう。
 土山町はまた、都から伊勢神宮に向かった斎王(斎宮とも称した)の宿所(頓宮)跡が検証された唯一のところである。茶畑の一角に頓宮跡があり、小さな社殿が建っている。斎王は伊勢神宮において天皇の名代として祭祀にかかわり、平安時代から鎌倉時代の380年間、天皇の代替わりに斎王の群行があると当地の頓宮に宿泊し、鈴鹿峠を越え、伊勢路に向かった。初代の斎王は大伯皇女(大来皇女とも書く)。時代が相当遡り頓宮の所在は他所とみられるが、その皇女の続柄は大津皇子の実姉。悲運の斎王としてよく知られた皇女である。 −平成22年4月− 

土山宿
常明寺の三千仏名塔 頓宮跡
常明寺の「三千仏
名塔」
頓宮跡