滋賀
大庄屋諏訪家屋敷−守山市赤野井町−
大庄屋諏訪家屋敷 湖岸に近い野洲川河口の扇状地に赤野井という町がある。中山道の守山宿と琵琶湖の赤野井港を結ぶ東西交通の要所に栄えたところだ。港に立つと比良山の冠雪が青空に浮き上がってみえる。江州米が積み出され、対岸の堅田辺りから舟に乗り、江戸や伊勢詣りに向う旅人はみな赤野井港に上陸し杖を曳いたに違いない。赤野井は美田に或いは寺院や釈迦堂川周りにも古代から近世にいたる有形無形の歴史がちりばめられたところである。
 赤野井に代々、この地方の大庄屋を務めた諏訪家屋敷が所在する。広大な地所に釈迦堂川の掘割に防御された屋敷は、平城としての機能さえ意識させる。赤野井が古来、江州米の生産力のみならず軍事上の要地であったからこそ足利尊氏をして直参たる諏訪円忠を当地の地頭職に当てたのであろう。以来、諏訪家は赤野井を離れることなく当地に住み、江戸時代には庄屋連中の筆頭格として信任を得ていた。広大な敷地に主屋、書院、茶室などを配し、枯山水と池泉回遊式の庭園をめぐらせる。
 主屋前に色紙型の石を菱型に並べ両側をかづら石で囲んだ通路をもうけ、主屋の犬走り沿って二区画の石庭がしつらえてある(写真)。やや荒廃をみていて原形は想像の域を出ないが、主屋に向って左手に白砂、右手に黒砂を入れ流紋を描く陰陽の庭を成していたのではないだろうか。この瀟洒な庭は南禅寺塔頭の天授庵の庭のイメージに通ずるものがあって実にすがすがしい。主屋は茅葺入母屋、下屋根をめぐらせた武家屋敷の造りである。客殿は茅葺入母屋、妻入り桟瓦葺きの玄関が設けてある(写真正面の建物)。茶室は三井寺の円満院より移築されたものという。春秋、特別公開され、内覧できる。−平成22年2月−