大阪
鵜殿のヨシ焼き−高槻市道鵜町等−
 淀川の右岸に「鵜殿」というところがある。高槻市の道鵜町地先のヨシ原をそのように呼ぶらしく、淀川右岸の河川敷に当たる。そこは河口部から約30キロさかのぼったところである。淀川河川敷のうちヨシが最も群生するところで、約70ヘクタールの面積があるという。
 ヨシはヨシズや草葺屋根の材料などに利用された。しかし、日本が高度成長期に入り、生活様式が変化しヨシの需要はほとんどなくなり、また下流部の洪水対策の必要性などから河川改修が進み、堤外地におけるヨシの浸水面積が著しく減少した結果、日本の河川の河口部からアシ原が消えた。しかし、近年、ヨシなど植物の水質保全効果やアシ原に共生する多様な動植物相の保存或いは生活環境の見直し機運が緩やかにおこりはじめている。淀川の「ヨシ焼き」もそうした河川改修の現実とヨシ原保存の要請が交錯する状況のもと、比較的早い時期から行なわれているものだろう。
 日本の各地で、それを必要とした時代には害虫駆除のためススキやカヤの「山焼き」が行なわれてきた。しかし、汽水域の水際で育つヨシ原では、水の浄化作用から害虫の発生が押さえられる結果、ヨシ焼きをおこなったいう話を聞くこともなかった。しかし、治水対策や河川工学上の理屈から設置される高水敷につき、流域における宅地開発や山林の荒れなどによって保水機能が低下し、しだいに高水敷が高くなると、ヨシ原は浸水機会を失い、病害虫の温床となる可能性も否定できなくなる。河口部や流域のヨシ原においても「山焼き」が必要とされる所以であろう。この日午前9時、上牧から道鵜まで淀川の広大なアシ原に火が入った。ヨシ焼きは、いったん刈り取ったヨシに火が入ったため火勢は弱く、火は地を這うように延焼する。なかなか幻想的なヨシ焼きであった。−平成21年2月−