大阪
片足羽川(かたしはがわ)−松原市−
 大和盆地を抜けた大和川が西方に流下し、河内平野に出ると、南東から金剛葛城山塊の水を集めて流下する石川が松原市の安堂あたりで大和川と合流する。その合流点の南方に展開する丘陵地帯は古市古墳群が所在するところ。仲哀、応神、雄略など4、5世紀の日本の国家形成期に活躍した天皇や皇后等の陵墓が平野を埋める。
 時を経て、当地をゆく虫麻呂は、・・・さ丹塗の大橋の上ゆ紅の赤裳すそ引き・・・ただひとりい渡らす児は(万葉集)と、詠った。 丹塗りの河内大橋が架かる片足羽川(かたしはがわ)が石川か大和川か特定できない。大橋といわれるくらいであるから、橋は随分繁華なところに架かっていたのだろう。
 そこはたぶん、大和川と石川の舟運が交錯する少し下流の安堂辺りではないかと思ってもみる。万葉歌碑がちょうどその辺りに建っている。
 虫麻呂は長歌に続いて反歌で、・・・(大橋を)ひとり行く児に宿貸さましを、と胸中の躍動を訴える。河内平野一帯は、いわゆる河内王朝の枢要部である。渡来人が多く住みついたところ。文、船、津など諸氏が栄えたところである。渡来氏族の多くの社寺址が羽曳野、藤井寺、松原各市など河内に所在する。
 初秋のころ、柏原の山裾はぶどう狩りの家族連れで賑わっている。日当たりのよい乾燥した丘陵はぶどう栽培の適地。河内の平野が一望できる山裾からぶどうを摘む若い人々の弾んだ声がきこえる。