大阪
弘川寺−大阪府南河内郡河南町弘川−
 願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月
 のころ  <西行>

 古つかを まかづる頃よ 夕立ちぬ 弘川の村を ぬれ 
 てや行かむ  <釈 超空>
 葛城山の西麓に弘川寺という古刹がある。開創は役行者と伝えられ、天武天皇の勅願寺。朝野の信仰を集めた寺であるが、西行の終焉地として知られ、古来、文人墨客の来訪が絶えない寺である。大和川の支流石川の右岸に寺はあり、流域の開発が進む地域であるが寺の辺りはまだ南河内のよい雰囲気が残るところ。弘川寺を訪れた釈超空は‘古つかを まかづる頃よ 夕立ちぬ 弘川の村を ぬれてや 行かむ’と詠ったそのままの寂びた雰囲気がある。
 弘川寺を訪れ、西行墓に詣でた良寛は、‘たをりこし 花の色香はうすくとも あわれみたまひ 心ばかりは’と詠じた。弘川寺座主であった空寂上人を慕って来訪した西行は、当寺に住み、文治6(1190)年2月16日、入寂。73歳の生涯を花の下にて閉じたのである。