奈良
慈光院の庭−大和郡山市小泉−
 大和小泉に慈光院という寺がある。大和郡山藩主であった片桐貞昌(石州)が寛文3(1663)年、大徳寺の大徹明應禅師を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院である。石州は知恩院再建の普請奉行を務めるなど土木建築をよくし、その経歴は作庭家でもあった小堀遠州とよく似たところがあり、茶席をともにすることもあったようである。石州の母方祖父は今井宗久。自らは第4代将軍徳川家綱の茶道指南役を務め、石州流の宗匠としての名を不動のものとした。
 慈光院は小丘に建つささやかな寺院である。寺へ通じる小路からしてすでに茶席に導く風情を醸し、楼門をくぐるほどに右手に書院を望む。書院の前面はさつきの大刈り込みをしつらえ、大和国原を借景とする。飛石や石組みを控え、大和の蒼穹にも動じることがない。作庭の手法は遠州のそれと対極をなすものであろう。遠州茶庭の傑作といわれる京都紫野大徳寺の子院孤蓬庵のそれと思い較べるとよいだろう。ともに寺全体が茶室の風情であるけれども、石州は書院奥の茶室高林庵の手前にもうひとつの庭をしつらえ、客人を茶室へと導くのである。
 世界のどこにも日本の庭と似通ったものはない。中国庭園とも異なり、ましてフランスを中心とした欧州の木や草花を円や三角の形に植え、池は方形や円に造る幾何学式庭園とはぜんぜん異なるのである。日本独特の自然式庭園の発祥時期は定かでないが、近年明日香村の地下から人工池沼の痕跡が発掘され宮殿附置の庭園を思わせる。日本庭園の歴史は飛鳥時代に遡るのだろう。林泉、平庭、茶庭それぞれに、私たちは、先人が歩んだ精神世界を庭に見出すことができる。−平成20年2月−
楼門 書院