近畿風雲抄
奈良
東大寺−奈良市−
東大寺遠望 東大寺。平城京跡の東辺でひと際大きな甍が聳え、黄金色のシビが燦然と輝いている。大仏殿の高さは約47メートル。世界最大の木造建築物である。鐘楼、二月堂、三月堂、俊乗堂…観音山の西麓を埋める東大寺の施設群は語り尽くせないほど多い。
 お水取り(修二会)は二月堂の行事。期間中の2月12日に行われるお水取りは西国に春の到来を告げる行事。二月堂は寺中、最も活気のあるところだ。香煙が絶える日はない。
 中門の長い廻廊に沿って小道を行く集団は戒壇院へ向かう遠来の学童達であろう。男女のカッターシャツの白が廻廊の朱に映える。
 戒壇院は受戒の仏堂。天平勝宝6(759)年、苦節11年ついに来朝した鑑真和上の導きによって、東大寺創設の願主聖武天皇ら四百余人が大仏殿前の戒壇で受戒した。中央で僧侶を目指す者はこの戒壇に登り、僧侶の公認を得たのである。大宰府の観世音寺、下野国の薬師寺とともに日本三戒壇の一つである。 東大寺 参詣客の波は、南門から中門、大仏殿に続き、途切れることはない。中門を潜り千二百余年にわたって衆生を導き続ける香炉。その前に大仏殿が聳えたつ。仏殿におわす14メートル余の盧舎那仏。金銅の大仏も世界最大。開設以来、地震などの天災に耐えた大仏と大仏殿。治承4(1180)年と永禄10(1567)年の2度、兵火によって焼け落ちそのつど復興した。大仏殿の建坪は半減したというが古来の威容を失ってはいない。 俊乗坊重源は治承4年、源平の兵火で消失した東大寺の再建を果たした功労者。資材、資金の調達はこの人の勧進に負うところ大である。暗幽とした空間で人々は大仏を仰ぎ或いは頭をたれて額づいている。 
 境内の伽藍の遺址まわりでは鹿がのんびと草を食み、コサギが池の水周りで生死を争う。境内の内外に立つ道標が中世以来、絶えることのない「奈良詣」の伝統をものがたる。天山、パミールをこえようやく日本に根付くことになった仏教は中国の大同やバーミャンにもない巨大な金銅仏を鋳出した。その公伝からわずか二百年ほどの間にアジア最大の仏殿を構え、東大寺は長安に次ぐアジアの巨大都市平城京の象徴をなしたのである。−平成19年7月−

東大寺南大門 奈良の鹿(東大寺付近)
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