近畿風雲抄
奈良
粟原寺址−桜井市粟原−
粟原寺跡 桜井市粟原集落の南端に粟原寺跡がある。金堂、三重塔跡に礎石が残る。草壁皇子や中臣大嶋ゆかりの寺だった。
 寺跡は音羽山(標高250メートル)の北麓山中にある。その北に粟原川が流れ、朝倉に連なる陰口(こもりく)の聖地というべきところだ。
 寺跡の西方に立派な家型石棺を蔵する天王山古墳、南方の連山の西方に多武峰(談山神社)が所在する。この辺りは古代の要地であったのだろう。
 粟原寺はいつの時代かに廃絶になり僅かに寺の伝承と礎石を残すばかりであった。江戸時代に屋代輪池によって談山神社に伝わる粟原寺三重塔の「鑪盤」が見出された。その銘文が世に紹介された。鑪盤はお椀を伏せた形状をなし、「伏鉢」と称される。粟原寺のそれは下径約75センチ、上径約45センチある。相輪の下部に位置し、寺の由来などが刻されているる。
 粟原寺鑪盤の刻字は172文字。同刻文によれば、寺は草壁親王の追福の為に仲臣朝臣大嶋(中臣大嶋)が誓願し、甲午(持統天皇の8(694))年に比賣朝臣額田の手で着工し、和銅8(715)年に伽藍が完成、金堂を作り釈迦丈六尊像を造像、同年4月に伏鉢を三重宝塔の相輪の第7層に設えたとある。銘文中、比賣朝臣額田について、地元では額田王であり、当地で亡くなったという伝えがある。この万葉歌人の生没年などは不詳。晩年、皇籍を離れても天智、天武朝のいやさかを願ったのかもしれない。−平成21年4月−
戻る