奈良
談山神社の十三重塔−桜井市多武峰−
談山神社十三重塔
談山神社
 談山神社は多武峰の山中の社である。本は妙楽寺護国院と称し、天台宗の寺院であった。藤原鎌足の廟と聖霊院を護持していたが、明治維新の際、寺号を廃し、聖霊院を神社としたものである。境内の十三重塔は鎌足の廟塔といわれる。
 談山神社は、新緑、紅葉など四季の自然を求めて訪れる人も多いところである。
 多武峰略記は、鎌足が薨去すると始め摂津の阿威山に葬られたが、白鳳7(678)年、鎌足の長男定慧和尚によって多武峰山頂に改葬され、十三重塔と講堂が建立されたと伝えている。さらに、十三重塔の塔材の渡来説話があるのも、塔形の特異さゆえの霊異譚であろう。
 談山神社の十三重塔は、各層を詰めた桧皮葺の塔である。石塔の歴史は奈良時代に遡るが、石層が十三重にも及ぶ塔に般若寺などの石塔がある。それを木造塔に適用し、かつ初層を大きく張出した造りは、山城の海住山寺五重塔を意識させる。そうすると談山神社の十三重塔の草創の塔形はわからないものの、今のものは鎌倉塔の残影が漂う塔といえるだろう。相輪は青銅製。宝輪は7輪。塔はもともと瓦葺であったが、承安3(1173)年、興福寺衆徒の襲撃によって消亡し、治承元(1177)年に再建された際、桧皮葺に葺き替えられた。その後、興福寺との抗争や吉野方の兵火などによってしばしば堂宇が焼失し、再建が繰り返し行われたことが吾妻鏡や続史愚抄などによって知ることができる。現在の塔は、享禄5(1532)年に再建。桧皮や心柱などの修理はしばしば行われ、直近では平成19(2007)年に桧皮の葺き替えなどが行われ、去る11月17日落慶法要が行われた。−平成19年11月−