奈良
當麻寺の塔(東塔、西塔)−葛城市當麻−
 二上山を間近にして当麻寺の三重塔が二基鎮まり、その景観がこの町の懐かしさを一層深くしている。塔はいずれも三重塔。山裾に並行して建っている。大坂表から葛城山を越え當麻寺に向かう人々は、竹内街道の間道を行き、岩屋越えの道を通って当麻寺に詣でた。寺は中将姫の曼荼羅で知られ、和州内外の信仰を集めた。
 塔は金堂の前に相当の距離を置いて並行して建ち、金堂の後ろに講堂が置かれている。金堂、講堂の位置は諸堂の修理が行われた際の知見から創建当初のままであり、興福寺式の伽藍であったことがわかる。しかし、今日、興福寺式の伽藍を含め、創建当初のまま東西両塔婆が現存するところはこの寺を除いてほかになく、仏教建築史上においても貴重な遺産である。
 東西両塔とも明治期に修理が加えられているが、築年の明確な資料は発見されておらず、その様式から東塔は奈良時代の初期、西塔はその末葉以降と説明できるであろう。東塔は全体に力強く質実な印象があり、相輪は8輪と通例より1輪少ない。様式の定まらない初期の鋳造であるのだろう。西塔は優美な印象を受ける。基壇上に建ち、柱間の均等性、柱のエンタシスは微弱で軒は二重の造り。西塔の相輪(8輪)中、唐草の水煙は意匠的にも優れうつくしいものである。
 両塔の建造年代が不統一な状況は或いは当寺の草創経緯につき特別の事情が存在したのかもしれない。 寺域は広大ですがすがしく、美しい。よい雰囲気の中に塔はある。