奈良
倭漢氏やまとのあやうじの足跡−高市郡明日香村−
石塔婆 明日香村に檜前ひのくまという地区がある。村の南部地域で、古くは渡来人の倭漢氏やまとのあやうじが住みついたところである。起伏に富んだところで、小丘陵が特異な陰影を表出し、神社が鎮座していたり或いは古墳が埋もれていたりする。その小丘陵の一角に阿知使主あちのおみを祀る於美阿志おみあし神社がある。神社の裏手には檜隈寺址(写真下)の礎石が露出し、東塔址に上部が欠けた石塔婆(写真左)が建っている。倭漢氏の氏寺址といわれる。近年の寺址の発掘調査から朝鮮半島に多くみられる瓦積基壇が確認されている。
 倭漢氏の渡来について、日本書紀は、応神天皇20年秋、阿知使主が17県の党類を率いて来帰したとしるす。渡来系氏族の最古参ともいうべき倭漢氏は、はじめ文筆、記録、出納などの仕事に従事し、5世紀の後半頃、陶工、鞍工、画工、錦織などの進んだ手工業生産を行う漢部の管理者として部民を統率するようになる。その後、倭漢氏は大和の「史」の中心となった東文氏や大蔵、山口、調などの諸氏に別れ、発展する。しかし、次々と新しい技術や知識を携えて今来の渡来人が来帰するようになると、倭漢氏は次第に実務から後退し、渡来人としての特色を失い、7世紀後半頃からは中流貴族の地位を固めていく。−平成19年10月−

於美阿志神社の鎮守森 檜隈寺址
於美阿志神社の鎮守森 檜隈寺址