奈良
勝間田の池(七条大池)−奈良市−
 勝間田の 池の我知る はちすなし しか言ふ君が ひげなきがご
 とし                     〈新田部婦人〉 
七条大池(勝間田池) 薬師寺の前を通る近鉄線の線路を越え、大和郡山の方角に向かって歩くと、右手の丘陵上に池がある。七条大池又は単に大池と呼ばれるため池である。
 池から春日山、高円山」を遠望し、若草山の麓に大仏殿の甍を望み、秋の頃、三笠山から月が登り、薬師寺の塔を湖面に映す景観は、なかなか捨てがたい味わいがある。
 当地は、天武天皇の皇子新田部親王が住まいしたところ。今の唐招提寺がその邸宅であった。親王は天平7(735)年薨去。同時期に藤原不比等の4子も相次いで亡くなっており、或いは天然痘の災禍によるものか。邸宅は、その子道祖王、塩焼王に託されたかと思われるが、両皇子が天平勝宝8(756)年、相次いで失脚すると邸宅は天平宝字8(764)年、鑑真に与えられた。
 新田部親王も唐招提寺からほど近いこの池に遊ぶこともあったのだろう。標記の「勝間田の 池の我知る・・・」の詠歌が万葉集に載る。歌に注があって、親王は邸宅に戻って勝間田の池を盛んに嘆賞し、それに答えて夫人が吟唱した歌が勝間田の歌である。ざれ歌の味わいがある。勝間田がどこなのか特定はできないが、池の規模や好ましい実景などからこの池をのぞいて他にはあるまい。