京都
京の街角(なんじゃもんじゃの木)−福知山市川北町−

福知山市川北町に頼光寺と言う禅宗寺院がある。寺は由良川右岸にあって川石を積み上げた石垣が美しい集落の中にある。
 この寺の山門脇に大正期に檀家の一人が朝鮮半島から持ち帰り献納したとされるヒトツバタゴ(写真上、2枚)が植わっている。高さ10メートル余、幹回り50センチ余(目通し)。春の日、樹冠を覆うように無数の白い小さな花が咲いた。枝先に円錐形の花穂をなす白い花をつけ、花冠、がくは4つにさけている。黒紫の核果を結ぶ。
 ヒトツバタゴは、「なんじゃもんじゃ(名無木)」と称される木の通称。国内の自生地は愛知県。分布がきわめて限定的であるが、頼光寺のそれは朝鮮産で二重重ねの珍しさがある。


 一般に、なんじゃもんじゃの木と通称されるものにヒトツバタゴのほかに、ボダイジュ、ホルトノキ、ハルニレなどがある。いずれも分布域が限られているか日本に存在しない極めて稀な珍木、奇木の類。
 頼光寺から数キロ離れてある室谷山観音寺(真言宗)に菩提樹の古木(写真左2枚)が伝わっており、三岳山麓の廃寺跡などに植わる菩提樹などを加えると、丹波・丹後のなんじゃもんじゃの木は少ない方ではないだろう。
 日本人の森や樹木に寄せる想いはときに信仰と結びつき、神の依代とされまた、願いを樹に託するうらないの対象木となったりした。頼光寺創建の経緯はよくわからないが観音寺の菩提樹をふくめ私は、北近畿のこれら寺院の「なんじゃもんじゃの木」はうらないの木ではなかったかと思う。特に真言系寺院になんじゃもんじゃの木を見る機会が多いのは或いはそうした信仰の表れではないかとも思ってみる。
 巨木にしめ縄を張り巡らせる樹を神とあがめ、小祠をともなうものもある。ゲルマンもケルトも森や樹木に精霊を見出していて、木に対する対する信仰は世界共通。大伴家持は、「わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも」(万葉集)と謡った。この歌などは古来、武をもって天皇に仕えた大伴家の凋落を謡った自虐の歌と思われなくもないが、歌中の「いささ群竹」は家持のそうした気持ちをあらわすのに十分な背景となっている。日本人はその喜怒哀楽さえも樹木に求めるのである。−平成26年5月−