京都
大正時代の女性の装い(ふるさとミュージアム山城(京都府立山城郷土資料館)-木津川市山城町上狛千両岩
 日本人とは何ぞやと自問自答して、多くとも2000年ほどの間の他国との交流や日常の生活の痕跡が漢籍や考古学上の知見から朧げにわかる程度で実感が湧きにくい。衣服や髪型も同様。女性の髪型は今日、多様性に富み、大正時代の髪形の女性が街角にふっと表れてもさほど違和感を感じないほど変ってしまった。
 私の父母はいずれも大正生まれだった。母は晴れの日はいつも着物で過ごすことが多かった。裁縫もしたがなぜか髪型の印象があまり残っていない。
 過日、「ふるさとミュージアム山城」(京都府立山城郷土資料館)を訪れた。随時、企画展が行われ、しばしば埴輪づくりなど古代の追体験教室も開かれるなど良い嗜好の学習館。訪れた日、‘暮らしの道具いまむかし’の企画展が開催されていた。一角に「裁縫(さいほう)を習う女性たち」のコーナーがありアイロン、こて、裁縫台など並べた道具の上に裁縫の実習風景を撮った写真が掲示され、大正10年(撮影)とある。眺めると断髪・洋服の子供1人を除く女性6人は皆、和服。うち3人は島田(まげ)。向かって中央右の1人から前髪、(びん)髪、(まげ)(たぼ)、根飾りが確認できる。中央の1人は師範であろうか、二分分けにして(まげ)をつくっているように見える。左右の2人は刈り上げ、まだ少女の面影がある。明治の女性は日本髪。大正時代は欧化の兆しをみせつつも日本髪が基本の時代。昭和になると初期の混交時代から戦後の20年代後半になるとナイロンなど化繊が発明され衣類の多様化が一層進み、加えて国際化の大波が押寄せて髪型は十人十色の時代に遷移し、日本髪に身を窶す女性はもう成人式においてすら少なったのも時代の流れ。当時、地域間で女性の髪形が違っていたとはいえ、今日は京都・山城のむかしを偲ぶ良い資料に出会った。
 山城郷土資料館は先史、縄文、弥生、古墳時代から中世、近世に至る日本を知ることができる一等資料が揃っている。企画展、実習教室も開かれる。恭仁京にも近い。木津川のほとりに見飽きない資料館がある。-令和7年3月-