佐多岬−佐多町
佐多岬佐多岬は、本土最南端の岬。大隈半島の最南端にある。岬の断崖上に建てられた展望台から種子島などの薩南諸島や対岸の薩摩半島の南端で聳える開聞岳が墨絵のようにみえる。眼下の白亜の灯台は雄大なパラノマのアクセント。灯台脇で釣舟が錨をおろしている。海面は波立ちざわざわと早い潮が流れている。
 北緯31度線上のこの岬はカイロと同緯度線上にある。岬へ向かう途中に「御崎神社」が鎮座する。社人の話によれば、「春、秋に大祭があるが特に、春の大祭は賑やか。神輿がでて、七浦を巡行しながら20キロほど離れた近津宮神社まで巡幸がある。」とのことである。
 佐多岬は、南方方面への要衝地。その岬に建つ御崎神社は、大八州の守護神として、近世においては島津藩の琉球支配の鎮護神として鎮座したと社伝はつたえる。薩摩の人々の御崎神社への崇敬は厚い。鹿児島から数日がかりで佐多岬を訪れる人も多かったという。越中における雄山詣でとあい通ずるものがあるのではないだろうか。

 ダグリ崎−志布志町
 志布志湾は、大隅半島を中にして錦江湾と対峙する湾。その湾奥の日向との県境辺りにダグリ崎がある。小さな岬の展望台から眼下を眺めると、岬の明るい海のブルーと海岸線が絶妙のバランスを保ち、ときおり押し寄せる波が静寂をかき消しきらきらと白く耀いている。絶景である。
 近年、この岬から自然の地形を利用した4世紀ころの、鹿児島では最古の大型前方後円墳が確認された。志布志湾の西方は押しなべて平野部が多く、、かつ地理的にも大陸文化の伝播を受け易い有利さから大いなる権力が存在したのであろう。

武家屋敷−知覧町
 薩摩の随所に武家屋敷群が残っている。知覧もそんなところのひとつ。要所に武人を配し、統治に当たらせた島津藩独特の防衛、統治の知恵だった。
 整然と組まれた屋敷町の街路を行くと、石垣や家屋のあり方などに南西諸島の雰囲気がある。二ツ家などはその代表的なものである。民俗を映す絶景がある。
知覧武家屋敷 画像(知覧武家屋敷) 二ツ家