岩剣山-姶良町重富-
岩剣山 麓集落
岩剣山 麓集落
 岩剣山は標高220メートルのビュートの山。山容は入来町岩下の大岩や加治木町日木山に酷似し、その大きさは両者より少し小さく見えるが威圧感がある。
 山の頂上にかつて蒲生氏の支城・岩剣城が築城されていたが、天文23(1554)年、薩摩南部を平定し北部薩摩や大隈の攻略を目指す島津氏の初戦場となり落城。その後、島津氏は、岩剣山の麓に城を移し島津藩の外城とした。武家の麓集落が往時の城下の姿をとどめるている。
 冬の日、麓集落はしらじらとした冬の陽を浴び静まりかえっている。梅がほころびツゲ、クロガネモチの梢を渡るメジロ、シジュウガラの鳴き声が山麓に染みる。上品な静けさが漂う集落である。通りから見上げると岩剣山が青く輝いている。絶景である。 −平成15年1月−

石の風景(県立資料館)−鹿児島市
県立資料館  照国神社の大鳥居の右隣に県立資料館がある。近年、資料館の展示機能等の大半は新資料館・黎明館に移り、比較的ひっそりとした資料館である。
 資料館は、市内の尚古館とともに鹿児島に残る洋風の最古の石造建築物。資料館を眺めていると、薩摩の歴史にちょっとした異風を感じてしまう。 薩摩は、江戸期には主君の死に伴う殉死者が諸藩の中でも最も多く、また伝統を重んじる気風が強い土地柄。一般的には古風で保守的である。
 しかし、幕末期に生麦事件を発端として薩英戦争が勃発し敗戦の憂き目にあうと、薩摩藩は一転して敵方の英国の技術者を招き、全国に先駆けて工業を興すなど先取の気風が強いハイカラの国柄も見え隠れする。資料館は多分、このような薩摩人の異風を映す建築物ではないだろうか。
 設計者不明のこの資料館は、第二次世界大戦で建物内部が焼失し、存廃の危機に瀕することがあっても生き延びてきた。戦前は主に商工関係施設、戦後は文化施設として今日までその姿をとどめている。鹿児島の商工業発展のモニュメントとしても大切にされてきたのだろう。
  資料館正面に植えられたソテツは、池野成一郎博士がそれを研究素材としてソテツの精子を発見した記念樹。併せて見学されとよいだろう。姿のいいこの石造建築物は、薩摩の紺碧の空にぽっかり浮かび絶景をかもしだしている。