九州絶佳選
福岡
稲築 頓宮山の石仏−稲築町山野−
頓宮山羅漢 遠賀川上流に所在する稲築町に山野という地区がある。古くは宇佐八幡宮の荘園として発展した経緯から国東半島の文化が色濃く残る。
 若八幡神社に楽が伝えられ、神社の向かいの頓宮山に仁王像や五百羅漢と呼ばれる石像が祀られている。頓宮山の参道の入口付近には、猿田彦大神と彫られた神式の庚申塔や庚申尊天と彫られた仏式の庚申塔が林立している。
 若八幡神社と頓宮山との間を通る道に立つと、時間の止まったような懐かしさを感じてしまうほど、山野はまったく心地よい古色に包まれたところである。 
 頓宮山の石像群は、砂岩に刻まれた約390体ほどが残っている。鎌倉時代に造立されたものとみられるが、文永8(1271)年に神宮寺座主妙道によって修復されたと伝わる。もろい砂岩質の造像で永く野外にあったためか風化が進んだ石像が多い。石像群は、仁王像や仏像、神像などが混じりあい、神仏混交の風が顕著であるが、みな柔和な顔をして丸みがある。国東半島の石仏の面影などを映しているのだろう。仁王像にも暖かな力強さが感じられる。五百羅漢は、近在の人々の厚い信仰に支えられ、数百年以上にもわたって山野にその姿をとどめてきた。
 九州は羅漢信仰の盛んなところ。豊前には羅漢を祀る寺院が随分多い。羅漢寺のそれは数等において極点を示している。五百羅漢は、釈尊の入滅後、聖典を編纂するための結集(会議)に集まった五百人の尊者を敬う信仰であるが、羅漢の顔かたちはみな異なる。人々はこのことに注目し、羅漢さんのなかに亡くなった肉親を見出し拝む信仰を生みだした。羅漢はもともと小乗仏教徒が信仰の到達点として目指した最高の尊者。日本は仏になることを希う大乗仏教国であり羅漢信仰が存在することに不思議さを感じるが、羅漢さんに肉親を見出すというその本質とは別の解釈がいつの時代かに生じ、定着したのであろうか。約10年サイクルで国土を覆い、多くの死者がでた江戸時代におけるホウソウなど疫病の蔓延が羅漢信仰の背景として存在したのではないかと私は思うのである。平癒を祈願し、不幸にも命を落とした者の面影を羅漢さんに見出したのであろう。
 十六羅漢は、羅漢が世界のいたるところにいて仏法の正しい教えを護持するというものであるが、こちらのほうも疫病退散などの信仰と結びついているようである。県下の宮田町の幹道端の十六羅漢岩窟に羅漢が祀られている。人々は、しばしば襲ってくるホウソウなどの疫病から免れるため、羅漢に祈りを捧げたのである。
 疫病の流行などによってわが国の総人口は江戸時代を通じ三百万人弱で推移し、ほとんど増加することはなかった。−平成17年8月−
頓宮山五百羅漢 十六羅漢岩窟(宮田町)